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3.交換の形式的再定義
3.2.商品交換の再定義


 柄谷行人は、商品交換において交換されるのは、商品(およびサービス)と貨幣であるという。よって、ひとまず商品交換とは、商品と貨幣を対象とする交換であるということになる。

 ただ、このとき、個々の商品および貨幣が、現実的な物質(感覚の対象として同定される個々の物質)である必要はない。現に、サービスという商品は物質ではないし、商品交換の現場において、硬貨や紙幣を用いることなく支払いをすることは可能である*1。しかし、だからといって、それらがまったく想像上のものであっては、商品交換とはならない。たとえば、移送、教育、娯楽といったサービスが、商品交換の対象となりうるのは、サービスそのものが物質ではなくとも、それらがサービスを売る側あるいは買う側の身体という物質的形式によって規定されているからである。また、硬貨や紙幣を用いない売買が可能であるのも、少なくともその取引が物質的に記録されるからである。すなわち、商品交換が成立するためには、交換の対象である商品と貨幣が、それそのものとして物質である必要はないが、物質的に規定されている必要がある。

 では、商品と貨幣は、どう再定義されるのか。柄谷は、商品交換に先立って商品はない、という。そうであれば、同様に、商品交換に先立って貨幣はないはずである。商品交換とは、商品と貨幣を対象とする交換であり、両者は同等である。したがって、商品交換において、商品について成立する言明は、貨幣においても成立するのでなくてはならない。つまり、これからいえることは、商品交換という形式に先立っては、商品という形式、貨幣という形式は成立しない、ということである。言い換えれば、商品という形式、貨幣という形式は、商品交換という形式から構成されているが、その逆ではない。

 それでは、商品交換の対象となる形式とは何であるのか。上記より、それは商品と貨幣を規定する形式である。商品交換の対象としての貨幣は、すでに述べたように、それそのものとして物質である必要はない。もし、貨幣から物質的形式を切り離すことができるとすれば、それは単に価格である。では価格とは何か。価格とは、商品交換において貨幣と交換される商品に付与される言明である。すなわち、商品交換においては、価格の付与という機能があり、それを可能とするのが、貨幣における価格という言明である。

 一方、商品は、生産され、消費されるものである。この生産および消費とは、主体による行為である。しかし、単につくり(創出)、使っている(利用)だけでは、柄谷の言うところの商品にはならない。それはあくまでも、商品交換において、はじめて商品となる。これを、価格の付与という機能からみれば、商品とは、価格が付与されるもの、というだけにすぎない。価格の付与がなければ商品はなく、商品がなければ、生産も消費もない。しかし、それが生産であれ、消費であれ、その商品が主体の行為によって規定されていなければ、やはりそれは商品ではない。

 以上より、商品交換の対象となる形式は、物質的に規定されており、言明による価格の付与と主体による創出/利用という機能を持つものである。これを正確に再定義しよう。まず、言明的形式と主体的形式の、物質的な規定により成立する形式がある。これを、社会的物質とよぶことにする。


 2.1. 社会的物質とは、言明的形式と主体的形式の、物質的規定である。


 しかし社会的物質そのものは、商品交換の対象ではない。商品交換が成立するには、言明的形式が価格の付与という機能を持ち、主体的形式が創出/利用という機能を持つものでなくてはならない。この価格と創出/利用という規定は、社会的地平から構成される形式ではない。この、価格という言明的形式と創出/利用という主体的形式が、物質的形式に規定されたものを、市場的物質とよぶことにする。これより、商品交換とは、市場的物質を対象とする交換である。


 2.2. 市場的物質とは、言明的形式の価格の付与という機能と、主体的形式の創出/利用という機能が、物質的に規定されたものである。
 2.3. 価格と創出/利用は、社会的地平から構成される形式ではない。
 2.4. 商品交換とは、市場的物質を対象とする交換である。


 この市場的物質という形式から、貨幣と商品、生産と消費は、次のように形式的に再定義される。*2


 2.5. 貨幣とは、市場的物質における言明的形式を規定する物質的形式である。(あるいは、価格付与を規定する物質的形式。)
 2.6. 商品とは、市場的物質における主体的形式を規定する物質的形式である。(あるいは、創作/利用を規定する物質的形式。)
 2.7. 生産と消費とは、商品という物質的形式によって再構成された、創作と利用という主体的形式である。


 このとき、商品交換は市場的物質を対象とする交換であって、商品と貨幣の交換ではないということが重要である。商品と貨幣は、市場的物質の物質的形式による再構成によって成立する形式である。しかし、柄谷は一貫して、商品交換とは貨幣と物質の交換であると述べている。ここに、柄谷の議論を支える「非形式的な」前提があるのだが、これについては後に検討する。

*1:たとえその支払いが、最終的には硬貨や紙幣による決済を必要とするにしても、特定の商品と特定の硬貨や紙幣との交換ではないことは確かである。

*2:繰り返すが、これらはあくまでも柄谷がその議論において用いている用語を形式的に再定義したものであって、これらの形式が、そのまま社会的に機能しているということではない。それについて検討することは、今回の目的ではない。