2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

トランスクリティークとポストモダン

ポスト・モダンな言説の「嵐」は、すでに少数の学者・批評家の範囲をこえて吹きまくっている。私自身の書いたものがその原因の一端であるといわれるかもしれないが、そのような「光景」は私と根本的に無縁である。というよりも、私はそのように反復される「…

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『思想地図』が出版されるようである。予告どおり、ここに完成稿を公開する。もとより勝手な「挑戦」であるから、その結果については読む方の判断にゆだねたい。 「トランスクリティークとポストモダン」 なお、これまでいささか冗長な「草稿」を公開してき…

柄谷行人を読む(38)補論II:「日本ポストモダニズムの<起源>:柄谷行人、浅田彰、東浩紀」後編

柄谷は自己言及的な形式体系を問うことをやめた。しかし、この問いは東浩紀の『存在論的、郵便的:ジャック・デリダについて』によって反復されることになる。より洗練されたかたちで。 本書で東は論理的‐存在論的脱構築と郵便的‐精神分析的脱構築という2つ…

柄谷行人を読む(37)補論II:「日本ポストモダニズムの<起源>:柄谷行人、浅田彰、東浩紀」前編

柄谷行人の「言語・数・貨幣」は、第二章から唐突に議論の様相が変化する。この論稿は、「内省と遡行」(1980年)以降の柄谷の試みの集大成となるべく、1983年4月から雑誌「海」に連載がはじまった。しかし、その議論は途中から動揺し、同10月には未完のまま…

柄谷行人を読む(36)補論I:自己言及のパラドックスについて

柄谷行人の「形式化」について 柄谷行人は「内省と遡行」から「言語・数・貨幣」に至る論稿において、言明による自己言及的な形式体系について論じた。それは言明において理論と現実の隔たりを解消する試みであった。しかし、柄谷自身は形式化を行っておらず…

柄谷行人を読む(35)<切断I>

さて、大変長い道のりでしたが、ここまでで前期柄谷の論稿群の読解は終わりです。すでに繰り返し確認したように、前期柄谷は、実存と社会の対立からはじまり(『畏怖する人間』)、その対立が理論と現実の隔たりに基づくものであることを見出し(『意味とい…

柄谷行人を読む(34)『内省と遡行』『隠喩としての建築』

以上で「形式化」期の4つの論稿は終わりです。あらためて、その議論を振り返ってみましょう。 まず「内省と遡行」で、意識と対象の成立を問うことが、下向というひとつの過程に還元されます。そして下向に対して、下向の果てに再び意識と対象に戻る過程が上…

柄谷行人を読む(33)『内省と遡行』『隠喩としての建築』

要約:「言語・数・貨幣」序章 基礎論 形式化は第一に自然・知覚・指示対象から乖離することで人工的・自律的な世界を構築しようとすることであり、第二に、指示対象・意味・文脈を括弧にいれて、意味のない任意の記号の関係の体系と一定の変形規則をみよう…

柄谷行人を読む(32)『内省と遡行』『隠喩としての建築』

続いて「隠喩としての建築」と「形式化の諸問題」です。「隠喩としての建築」は「群像」に1981年1月から8月まで連載された論稿です。5つの章から構成されていますが、内容的には第二章までの前半部と、第三章以降の後半部に分けることができます*1。もう一方…

柄谷行人を読む(31)『内省と遡行』『隠喩としての建築』

それでは「形式化」期の4つの論稿をひとつひとつ読み解いていくことにしましょう。ただし、すでに述べたように、「形式化」期全体を通じて同じ事柄が何度も繰り返し論じられているので、ここでは各論稿の全体像を把握することに主眼をおきます。それにともな…

柄谷行人を読む(30)『内省と遡行』『隠喩としての建築』

今回の読解は『内省と遡行』と『隠喩としての建築』です*1。これまでと違って今回は同時に2冊を読むことになりますが、それには理由があります。 両者は出版年だけを比較すれば、『内省と遡行』が1985年、『隠喩としての建築』が1983年ですから、単行本とし…

柄谷行人を読む(29)方法論的批評としての批評的還元

方法論的批評の方法というものを、あえてひとことで表現するとすれば、それは対象を<批評>の対象に還元する手順ということになるでしょう。対象を対象に還元する、というのは同語反復(<批評>の対象は<批評>の対象である)のようにも聞こえますが、そ…

柄谷行人を読む(28)方法論的批評としての批評的還元

『内省と遡行』および『隠喩としての建築』の読解に移る前に、ここであらためて本草稿の方法論について確認しておくことにします。最初に私は本草稿において、柄谷の一連の著作が、1) 言明としての思考を読解する作業が、2) 2つの切断をはさんで継続されてい…

暑い。もう3回目の夏だが、慣れようがない。日中はできるだけ屋外に出ないようにするだけである。 小児科病棟にギャッジアップ可能なベッドが5台ほど運び込まれている。ICUにも見慣れない中古のEvitaのventilatorが置いてある。例のドイツのNGOが寄贈したも…

季節外れの大雨で夜中に自宅で雨漏り。 ルイジアナに日本食メニューが出現し、ピザコーナーだったところが、寿司カウンターになっている。昨日、オープンしたばかりらしい。板前は若いベトナム人で、日本語が堪能。ホーチミンのルネッサンス・リバーサイドで…

最近、カンホア総合病院の警備をしている警備会社が新人を大量採用したらしく、入口でいちいち止められる。すっかり顔パスに慣れてしまい、通行許可証もどこかにやってしまったので、その度に顔見知りの警備員を探してこないといけないのが面倒である。 8歳…

柄谷行人を読む(27)『日本近代文学の起源』

すでにあきらかと思われますが、最初にも述べたように、本書の議論の構図は『マルクスその可能性の中心』と完全な対称関係にあります。もう一度確認しておくと、『マルクスその可能性の中心』の構図では、まず実存の問いが人間に還元され、人間が物質に還元…

柄谷行人を読む(26)『日本近代文学の起源』

ここまで『日本近代文学の起源』の内容をひととおり読んできました。まとめると、前半部では言文一致と「告白」という制度によって成立する「風景」と「内面」が、中盤部では政治的制度=社会的諸関係によって規定される人間科学が、後半部では「深層」とし…

柄谷行人を読む(25)『日本近代文学の起源』

要約:『日本近代文学の起源』、VI「構成力について」 森鴎外は「理想」を主張することで、坪内逍遥の併列的な分類を時間化しようとした。 しかし鴎外は大正期に入って「歴史小説」を書き、作品における配置を非中心化する。近代文学の配置を形成した鴎外自…