ニャチャンにて
仕事を後任に引き継ぎ、ニャチャンを離れることになった。
2年以上暮らしたホー・スン・フン通り31番地の家も引き払った。
思えば、ここが社会人になって一番長く住んだ家だったかもしれない。
今日、昼前のフライトでニャチャンを発ち、サイゴンへ。
明朝、福岡に到着予定である。
2006年7月、はじめてベトナムに足を踏み入れた日に始めたこの日記も、区切りのよい本日をもってひとまず終了としたい。
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すこしあとがきめいたことを記しておこう。
私は以前、パレスチナ・ガザ自治区で仕事をしていたときにも日記をつけていたことがある。
このブログはその続編のつもりで書いてきたものである。
パレスチナでは、常にエドワード・サイードを意識していたが、ベトナムではそれがチャン・デュク・タオであった。
彼らのように徹底して理論的に考えながら、否応なく<土地>に巻き込まれていった思想家たちに、私は興味を覚える。
ある意味では、それはフッサール、ハイデガー、サルトル、あるいは東浩紀という同い年の日本の思想家についてもあてはまるかもしれない。
彼らの何が興味深いのか。
それは、決してその思想内容ではない。
ましてや彼らの生き方でもない。
私が興味を抱くのは、彼らの思考を絡めとる<土地>の力である。
誰も<土地>から逃れることはできない。
その意味では、<土地>なしに思想はありえない。
では、<土地>に埋没することなしに考えることはできるのか、できるとすれば、どうすればいいのか。
これについては、さらに考察をすすめていかなくてはならないだろう。
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また近い将来、別の<土地>で、この続きを書きたいと思う。
鈴木 基