2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

長崎到着。熱帯医学研究所でミーティング。

ずっとホテルに缶詰状態である。部屋の窓から目の前に関西空港がみえる。 午後3時から発表。開催直前になって同時通訳が入ることになったので、日本語で喋ったら英訳してくれるのかと聞いたらだめだとのこと。聴衆の半分くらいは日本人なのだから日本語でい…

Asian Research Forum on Emerging and Reemerging Infections 2008に参加するため、ホテル日航関空へ。

柄谷行人を読む(9)『意味という病』

ここで今後の議論の見通しをよくするために、いくつかの用語を整理しておくことにしましょう。これらの用語は私がここにあることについての2通りの問いに関係するものです。ひとつは私がここにあることについてまさにここにあることを追求するやりかたであり…

朝8時、福岡到着。半年ぶりの日本。寒い。

来週大阪で開催されるAsian Research Forum on Emerging and Reemerging Infections 2008に参加するため、本日より日本出張。帰国は半年ぶり。今回は、まもなくベトナムがテトの連休に突入するので、2週間以上滞在の予定。 昼過ぎにニャチャンを発ちサイゴン…

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http://www.hirokiazuma.com/archives/000361.html http://www.hirokiazuma.com/archives/000362.html 東浩紀が自らの政治的立場に関してのメモを公開している。おそらく東は優れた批評家なのだろう。もしここで「現在」なるものが論じられているのだとすれ…

柄谷行人を読む(8)『意味という病』

いっけんすると、ここには『畏怖する人間』におけるモチーフ 内面と外界の対立とその逆接としての「自然」 がそのまま繰り返されているようにみえます。すなわち、現実感を喪失したマクベスが最後に到達したのは、内面でも外界でもなく、内面をつきつめたと…

柄谷行人を読む(7)『意味という病』

今回は『意味という病』をとりあげます。これは1975年に刊行された柄谷の第2評論集で、72年から74年に発表された論稿、エッセイが収められています。参照するのは、1989年発行の講談社文芸文庫版です。 一般的には、この『意味という病』と前作の『畏怖する…

柄谷行人を読む(6)『畏怖する人間』

このような指摘は重箱のすみをつつくようなもので、本質的な読解ではないと思われるかもしれません。しかし、私がここで細かな用語にこだわるのは、決してデビューしたての若手評論家の未熟さをあげつらうためではありません。この混乱にこそ、柄谷の思考の…

今日は朝8時に集合。昨日同様、ビンタンとビンフンへ。午前中で予定通りすべてを終了す。

感染症サーベイランスの一環で、朝6時半から、ビンタン・コミューンとビンフン・コミューンで小児検診。県衛生局のスタッフがよく働いてくれて、大変スムーズにことは進んだが、結局、夕方6時までかかった。

柄谷行人を読む(5)『畏怖する人間』

この要約で、論稿の主旨はおよそ理解できると思います。実際のところ本稿のテーマは比較的単純なもので、以下の引用部分でほぼ言い尽くされています。 要するに、漱石の小説は倫理的な位相と存在論的な位相の二重構造をもっている。それはいいかえれば、他者…

柄谷行人を読む(4)『畏怖する人間』

第1回目の今回は『畏怖する人間』をとりあげます。この作品は、柄谷の文芸評論家としてのデビュー作である「意識と自然 漱石試論」をふくむ、第一評論集です。 この論稿の位置づけに関して補足しておきましょう。じつは柄谷にはこの「意識と自然」に先立って…

柄谷行人を読む(3)準備

以上のことから、柄谷の仕事は、1) 言明としての思考を読解する作業が、2) 2つの切断をはさんで継続されている、3) ひとつの大きな論考群である、とまとめることができるでしょう。あるいは、「柄谷行人」というタイトルのひとつの大きな書物があって、その…

柄谷行人を読む(2)準備

このように、柄谷の論稿群は、<切断I>、<切断II>をはさんで、前期、中期、後期の3つの時期に分類することができます。これら各時期の特徴については、とりあえずここでは、前期:差異への問い、中期:他者と外部の導入、後期:倫理への到達、と標題をつ…