(1)

 サルトルの『弁証法的理性批判』を読んでいく。要約は要点を私の言葉でまとめ、内容について最低限のコメントを付すのみとする。今日は『方法の問題:弁証法的理性批判序説』(平井啓之訳、人文書院)の第1章(−p47)。


要約
 哲学は、ある時代の知の全体化である。したがって時代の移り変わりとともに、哲学は生まれ、死んでいく。われわれの時代の哲学はマルクス主義であり、これは現時点では乗り越え不可能である。
 実存主義の起源はキルケゴールに遡る。キルケゴールの実存は、ヘーゲルの客観的普遍性に対立する。しかし、この実存は客観的普遍性の否定としてあるという意味において、観念論的であり、ヘーゲルから切り離すことができない。よってヘーゲル哲学の衰退とともに、キルケゴール実存主義も衰退した。かわって登場したマルクスの哲学は、キルケゴールのように実存の特殊性を、ヘーゲルのように人間の客観的実在性を捉える。しかし、本来は実践的であるマルクスの哲学は、今日のマルクス主義者によって観念化してしまった。そこで新たな実存主義が復活した。この実存主義は(本来の)マルクス主義と相補的であり、経験を弁証法的な全体化作用の内部において捉える。マルクス主義は、社会関係の変化と技術の進歩によって人間が稀少性から解放されるときに乗り越えられる。


コメント
 ここでサルトルは、キルケゴール実存主義ヘーゲルの体系の否定以上のものではなく、観念論に過ぎないと切捨てている。これはサルトルが、まさにキルケゴール的な側面をもつ自身の『存在と無』を、本書において位置づけなおそうとしていると理解すべきだろう。