このように考えると、柄谷が何を議論しているのかがはっきりするでしょう。まず、これまでとりあえず内面と外界という言葉でよばれてきたものは、正確に実存と社会に置き換えられなくてはなりません。そうすると『畏怖する人間』での柄谷は、私たちの生の本…
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