柄谷行人を読む(10)『意味という病』

 このように考えると、柄谷が何を議論しているのかがはっきりするでしょう。まず、これまでとりあえず内面と外界という言葉でよばれてきたものは、正確に実存と社会に置き換えられなくてはなりません。そうすると『畏怖する人間』での柄谷は、私たちの生の本質は実存にあるのか社会にあるのかという問いに対して、それは実存でも社会でもなく、実存をつきつめたところの「自然」にあると答えていることになります。では、この「自然」は実存と社会に対してどのような関係にあるのか。すでにみたように、「マクベス論」で導入される観念という概念がそれを説明します。つまり、生の本質が実存にあるのか社会にあるのかという問いに対して、柄谷は実存の問いも社会の問いもともに観念であると言うのです。このとき観念とは意識に属するものであり、それ自体は実存においてあるものです。すなわち実存とは何か、社会とは何かという問いそのものが、実存において問われているのです。しかしそのような問いからは、どうあっても「自然」は出てこない。ではそれは実存とも世界とも関係がないのか。そうではない。私たちは確かに実存であるか社会であるかしかないのです。ただ、実存に本質があるのか社会に本質があるのかという観念的な問いに先立って、私たちはそれが実存であり社会であると観念化される前のところにある。この観念化される前の実存と社会、いわば実存社会(「   」は抹消記号)が「自然」なのです。混乱を避けるために、観念にかわって理論、「自然」にかわって現実という言葉を用いることにしましょう。すなわちこの「マクベス論」で述べられていることは、実存の問いと社会の問いという理論に先立って、実存社会という現実があるということなのです。

 こうした考え方は、やはり本書に収められた「掘立小屋での思考」で思想史的な観点から位置づけなおされています。柄谷にとってこの議論は、実存主義マルクス主義の対立に対する答えとして想定されているのです。

マルクス主義実存主義、あるいはそれに類する問題の立て方がある。私が理解できないのはその種の議論であって、いつもこんなふうに考えていた。なぜひとは、たとえばマルクスという"実存"そのものをみようとしないのだろうか。ヘーゲルは大きな建物をたてて自分はその脇の掘立小屋に住んでいるのだ、とキルケゴールはいっている。しかしヘーゲルだけではない。どんな人間も実は掘立小屋に住んでいるのである。そして、そういう場所でものを考え生活しているのだ、と私は思っている。
「掘立小屋での思考」『意味という病』、p293


 いまや実存主義マルクス主義かなどという問いがたてられることはまずありません。そもそも実存主義マルクス主義という言葉そのものがほぼ死語と化しています。しかし、少なくとも当時はそれは重要な問いだった。補足しておくと、一般に実存主義というものは、観念的にとらえられた人間、あるいは世界観に対して、個別の生の現実を主張するものです。つまり、ひとくちに人間と言ってもさまざまであり、人間一般に成立することが、必ずしもこの「私」にあてはまるわけではないというのがその主張だったのです。これに対して、マルクス主義は、観念的にとらえられた世界ではなく、まさに目の前にある物質のうごきとして世界を説明することを主張していました。すなわち物質によって人間がおりなす社会的現実を説明しようとしたのです。

 その意味では、実存主義マルクス主義もともに、観念に対する「本当の姿」としての現実を主張していたのです。したがって「実存主義マルクス主義か」という問いないし対立は、結局のところ、どちらがより観念的ではなく現実的であるかという争いだったのだといっていいでしょう。いってみれば、実存主義は「マルクス主義は観念で実存が現実である」と主張し、マルクス主義は「実存主義は観念で社会が現実である」と主張していたのです。しかし、柄谷は実存主義にもマルクス主義にも加担しません。むしろ実存も社会も観念であると位置づけたのです。確かに私たちには実存か社会かというありかたしかない。しかし、「実存か社会か」という問いそのものは、どうあっても観念的である。われわれは実存か社会かという問いに先立って、まさにここに生きているではないか。それは実存と社会の関係において成り立つ「意味」に先立っている。にもかかわらず実存か社会かという問いにとらわれているものは、「意味」という病に憑かれているのだ、と。これが『意味という病』というタイトルに込められた意味であり、本書に収められた論稿を貫くモチーフとなっているのです*1

 最後に「マクベス論」に関するひとつのエピソードについて触れておきましょう。それはこの論稿を書く際に、柄谷は連合赤軍事件という特定の歴史的事実を念頭においていたということです。柄谷は本書のあとがきでこう述べています*2

私がマクベス論を書きはじめたのは、この事件に触発されたからであり、書いている間いつもそれが念頭にあった。このエッセイは発表当時好評で、意外な分野でとりあげられたのだが、誰も「連合赤軍事件」との関連を指摘してくれなかったのは、今でも不思議である。…こんなエピソードを記すのは、一つには、読者がこのエッセイを特定の事実と結びつけるおそれがない現在において、逆にそれが特定の歴史的なコンテクストで書かれていることをむしろ強調したいからである…

「第二版へのあとがき」『意味という病』、p310‐p311


 重要なことは、連合赤軍事件そのものと「マクベス論」の内容的な関連ではありません。もちろんそういう視点にたてば、この論稿は、自らも関わった60年代の学生運動が衰退していくなかで、「六十年代急進主義の惨めな帰結」であるところの連合赤軍事件に、自己批判とはいわずともそうでありえたかもしれない自らに対する反省がこめられていると読むこともできるでしょう。しかしそれは、論稿の内容を柄谷の個人的経験に還元することであって、私たちの意図する読み方ではないし、単につまらない解釈でしかありません。私がここでこのエピソードをとりあげるのは理論的な理由からです。つまり、このエピソードは、論稿じたいは何一つ現実の事件に触れていないにもかかわらず、柄谷自身にとってはその理論構造が現実を反映するものだったということを意味しているのです。これはこの時点で柄谷が、理論的に考えることがそのまま現実的なものである、あるいはそうでなくてはならないという認識をもっていたことを示しています。その認識じたいは「マクベス論」のモチーフではありませんが、後の<切断I>を考える際に重要な意味をもってくるでしょう。


『意味という病』の読解のポイント

(1)意識と世界に関する実存の問いと、人間と物質に関する社会の問いがある。

(2)実存の問いと社会の問いという理論に先立って、実存社会という現実がある。

(3)理論と現実は一致する、あるいは一致するべきである。


 以上で『意味という病』の読解を終えることにしましょう。次回は『マルクスその可能性の中心』です。


意味という病 (講談社文芸文庫)

*1:本書の主題ついて、柄谷自身は次のように述べている。「「意味という病」という書名は「マクベス論」からとった。それは主題でもなんでもない。が、ほかに主題というべきものがあるわけではない。最初の評論集でもそうだったが、私が書こうとしたのは、作品のふつうそうみえるような意味や内容とは、まったく違ったところにある見えない核心のようなものである。」(「あとがき」p308)。しかし書いた当人がどう考えていたかはさておき、本書を読む限り、その主題はどこまでも「意味という病」であるといわざるをえない。では、柄谷が本当に「書こうとした」のは何だったのか。それはこれからの読解で明らかにする。

*2:柄谷は『倫理21』においてもこのエピソードを記している。