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3.交換の形式的再定義
3.3.互酬と再分配の対象


 前回、商品交換という形式を再定義した。では、互酬と再分配は、どのように再定義されるだろうか。

 柄谷行人は、互酬も再分配も商品交換とは異なるが、互酬と再分配において交換されるのは、商品、サービスであると述べている(『世界共和国へ』p65)。前回述べた理由から、ここに商品と対等に、貨幣を加える必要があるだろう。よって、互酬も再分配も、ひとまず、商品と貨幣を対象とする交換であるということになる。しかし、これらは商品交換とは異なる形式である。では、何が異なるのか。それは、商品交換が商品と貨幣に先立っているのに対して、互酬と再分配は、少なくとも商品と貨幣に先立っていないということである。互酬と再分配の対象は、市場的物質ではなく、商品と貨幣の物質的形式である。


 3.1. 互酬と再分配は、ともに商品と貨幣の物質的形式を対象とする交換である。


 商品と貨幣の物質的形式と、市場的物質および商品と貨幣との、形式的な相違について確認しておく。ここにボールペンと100円玉があり、売買が成立するとする。市場的物質とは、ボールペンと100円玉の交換が成立するとき、それが還元されるところの、創作/利用されるものと価格付与するものが、物質的に規定された形式である。このとき、そこにあるボールペンと100円玉は、個別の物質として問題にされることはなく、商品交換の成立が還元される形式としてしか機能していない。したがって、商品交換が成立しなければ、そこに市場的物質はないことになる。これは、市場的物質の物質的再構成である商品と貨幣についても、同様である。商品交換が成立すれば、そこにあるボールペンは商品という形式、100円玉は貨幣という形式に還元される。しかし、商品交換が成立しなければ、いかにそこにボールペンや100円玉の形をした物質があろうとも、それらは商品でも貨幣でもない。

 これに対して、商品と貨幣の物質的形式とは、まさにそこにある、ボールペンという物質、および100円玉という物質のことである。確かにそこに商品交換が成立する保証はなく、成立しなければ、それらは商品でも貨幣でもない。それでも、それらが物質としてそこにあることに変わりはない。互酬と再分配が対象とするのは、この商品と貨幣の物質的形式である。ただし、間違ってはならないことは、この商品と貨幣の物質的形式は、あくまでも商品と貨幣という形式から再構成された形式だということである。つまり、それは一般的な物質すべてを指しているのではない*1

 以上より、互酬と再分配は、ともに商品と貨幣の物質的形式を対象とする交換である。では、両者はどう異なるのか。柄谷は、互酬がネーションの原理であり、再分配が国家の原理であると述べている。よって、ひとまずは、次のようにいうことができるだろう。


 3.2. 互酬とは、ネーションを構成するものを主体とする、商品と貨幣の物質的形式を対象とする交換である。
 3.3. 再分配とは、国民と国家を主体とする、商品と貨幣の物質的形式を対象とする交換である。


 互酬と再分配は、商品交換を前提として定義されるものである。それは商品交換という形式が成立したのちに、「何と何の間で交換されるのか」から定義される。しかし、この定義では、国民と国家、およびネーションを構成するもの、という形式が不明である。もちろん、この定義から国民、国家、ネーションを再定義することはできない。それでは、単なる循環論法である。したがって、互酬と再分配を定義するためには、国民、国家、およびネーションを、新たに再定義する必要がある。

*1:補足しておく。物質がある日、突然、商品交換の成立によって、商品や貨幣に変化するわけではない。商品や貨幣になりうる物質があるわけでもない。こうした思考は、事後的に見出されたものを、事前に転倒している。言い換えれば、形式化の結果として到達した形式を、はじめからそこにあるものと見間違えている。実際には、思考するものが、目の前にある物質を、商品や貨幣という形式に還元しているだけである。