(10)

4.形式的唯物論の完成
4.1.『世界共和国へ』の議論の再構成


 ここで、これまでの作業を振り返っておこう。まず第2章では、『世界共和国へ』の内容を要約し、検討した。そして、本書の議論は、現実の再構成と理念の抽出の2つから構成されており、両者は現実の形式化によって成立することを指摘した。現実の形式化とは、現実を規定する形式を見出し、その形式に現実を還元する過程である。しかし、実際には、柄谷による現実の形式化は徹底されていない。そこで、第3章では、本書の議論の基本となる、交換という形式を再定義する作業を行った。これにより、互酬、再分配、商品交換および交換様式Xという、4つの交換様式が、形式的に再定義されたのである。

 以上を踏まえ、本章では、第3章で再定義した形式に基づいて、『世界共和国へ』の議論を構成しなおす作業を行いたい。議論を再構成するといっても、本書をすべて書き直す必要はなく、その議論の要点を再構成すれば十分である。ここで、第2章第1節(http://d.hatena.ne.jp/innhatrang/20070202)で行った要約を見直しておく。


(A0)
 交換には、互酬、再分配、商品交換、交換様式Xの4つの様式がある。これらはそれぞれ、共同体(ネーション)、国家、資本主義、アソシエーションの原理である。世界帝国においては諸国家における再分配が支配的で、商品交換は副次的である。これが、世界帝国相互の結びつきによって世界市場が形成されると、商品交換の地平で、再分配と互酬による国民国家が形成される。この資本=ネーション=国家は原理的に結びついており、いかにグローバリゼーションによって国民国家が衰退していくように見えても、それがなくなることはない。それを消滅させるには、富の格差が生じない交換システムの実現と、世界共和国の実現が必要である。そのとき、交換様式Xに基づく、アソシエーションが実現する。


 再構成の作業をスムーズに進めるために、上記の要約から、柄谷の議論の要点を抽出しておこう。要点は、次の5つである。


A0-1: 交換には、互酬、再分配、商品交換、交換様式Xの4つの様式がある。
A0-2: A0-1はそれぞれ、共同体(ネーション)、国家、資本主義、アソシエーションの原理である。
A0-3: 世界市場の形成以前は、再分配が支配的であるが、世界市場が形成された現在は、商品交換が支配的である。
A0-4: 世界市場において、資本=ネーション=国家は原理的に結びついている。
A0-5: 現在は実現されていないアソシエーションにおいて、資本=ネーション=国家は消滅する。


 さて、これからこの内容を、再定義した4つの交換様式を用いて再構成していくのだが、すでに何度か指摘したように、柄谷の議論は十分に形式化されていない。したがって実際には、交換という形式だけからその議論を再構成することは不可能である。ここで重要なことは、柄谷が形式化できなかった部分を形式化しなおすだけでは意味がないということである。もしそれだけで良いのであれば、第3章までの作業で十分だろう。しかし、私が本論で行っている作業は、現実を形式化することそのものではなく、『世界共和国へ』を読むことである。したがって、この本が十分に形式化されていないとすれば、それを形式化しなおすだけではなく、何が形式化されていないのかを明確にしなくてはならない。そうしなければ、本書を読む意味はないだろう。

 それでは、議論を再構成する作業を始めたい。まず、形式的に再定義した交換様式をみなおそう。それぞれの主体および対象の形式についてまとめると、以下の表1のようになる。

交換様式 主体 対象
互酬 ネーション 貨幣と商品の物質的形式
再分配 国家的主体 貨幣と商品の物質的形式
商品交換 市場的主体 市場的物質
交換様式X 社会的主体 社会的物質

(表1.)各交換様式の主体と対象


 こうしてみると明らかであるが、互酬、再分配、商品交換の主体と対象は、いずれも社会的主体と社会的物質から、それぞれ構成される形式である。また互酬と再分配の対象は、商品交換の対象から再構成される形式であり、商品交換の主体も、商品交換の対象によって規定される形式である。一方、互酬の主体は、再分配の主体から再構成される形式であるが、再分配の主体は、商品交換の主体から再構成される形式ではない。以上の、交換様式相互の関係をまとめると、次のようになる。


①互酬、再分配、商品交換は、いずれも交換様式Xから構成される。
②商品交換の主体と再分配の主体は、相互に独立に交換様式Xの主体から構成される。
③互酬と再分配の対象は、商品交換の対象から構成される。
④互酬の主体は再分配の主体から、互酬の対象は商品交換の主体から構成される。


 これより、ありうべき理論展開を構成すると、以下のようになるだろう。


(A1)
 交換には互酬、再分配、商品交換、交換様式Xがある。交換様式Xから互酬、再分配、商品交換が構成される。商品交換と再分配は相互に独立に構成されるが、互酬は商品交換と再分配が構成された後に、構成される。


 しかし、この理論展開は、柄谷の議論(A0)とは似ても似つかぬものである。まず、これだけでは、交換様式相互の形式的な構成関係が述べられているだけで、それらの実現としての社会体制については議論できない。そのうえ、互酬、再分配、商品交換、交換様式Xの順に議論が展開される『世界共和国へ』とは、順序がまったく逆になっている。特に、交換様式Xから他の3つの交換様式が構成されるというのでは、柄谷の議論とまったく相容れない。つまり、A0-1は構成されるが、それ以上の議論は構成できないのである。したがって、交換様式と社会体制の関係を明確にし、社会体制に順序を与える必要がある。

 ここで、表1について、交換の主体に主体的に再構成された形式、交換の対象に物質的に再構成された形式*1を配置してみよう。すると、表2のようになる。

社会体制 交換様式 主体的に再構成された交換の主体 物質的に再構成された交換の対象
ネーション 互酬 宗教と民族 貨幣と商品を含む物質的形式
国家 再分配 国家と国民 貨幣と商品を含む物質的形式
資本主義 商品交換 資本と労働者 貨幣と商品
アソシエーション 交換様式X (主体的に再構成された社会的主体) (物質的に再構成された社会的物質)

(表2.)各社会体制と交換


 これで、4つの交換様式と社会体制の関係が明らかになる。この表より、柄谷の言う社会体制は、おのおのの交換の主体的形式およびその関係である*2。そして、社会体制の基盤となる交換の対象は、いずれも貨幣と商品という物質的形式を含む物質的形式である*3。すなわち柄谷の言う社会体制は、形式的な交換様式から演繹的に定義されるものではない。貨幣と商品を含む物質的形式という、共通の基盤を前提としたうえで、そこに社会体制を還元しているのであり、交換様式は諸体制を区別するものとして利用されているのである。言い換えれば、柄谷は社会体制を、物質的形式の基盤の上に成立する諸交換主体に還元している。ここに、柄谷の議論における、形式化されえない前提を指摘することができる。それは、<前提1>現実は物質的形式から成立する<前提2>社会体制は物質的形式の地平上に成立する交換主体に還元される、の2つである。

 しかし、この2つの前提だけでは、A0-3A0-5を構成することはできない。つまり、ネーション、国家、資本主義が現行の体制であり、アソシエーションが未来の体制であることを言うことはできない。そのためには、さらにもうひとつの前提がなくてはならない。それは、交換の形式の構成関係とはまったく逆に、より形式的な社会体制が歴史的に実現するという前提である。つまり、<前提3>社会体制の形式化の過程が歴史である、である。

 以上の3つの前提をまとめよう。


<前提1>現実は物質的形式から成立する
<前提2>社会体制は物質的形式の地平上に成立する交換の主体に還元される
<前提3>社会体制の形式化の過程が歴史である


 では、表1、表2および<前提1><前提3>から、議論を構成してみる。


(A2)
 交換には、互酬、再分配、商品交換、交換様式Xの4つの様式がある。これらはそれぞれ、共同体(ネーション)、国家、資本主義、アソシエーションの原理である。ネーション、国家、資本主義、アソシエーションは、物質的基盤の上に成立し、これらは歴史的過程において形式化されてきた。現在、貨幣と商品という共通の基盤をもつ、ネーション、国家、資本主義の3つが結びついている。この3者をさらに形式化した、アソシエーションが、未来において実現される。


 (A2)A0-1からA0-5までを含んでおり、柄谷の議論(A0)を再構成できたことになる。


 以上、『世界共和国へ』の議論の再構成を行った。この作業によって、はっきりしたことがある。それは、『世界共和国へ』における柄谷行人の議論には、形式的ではない前提があるということである。これらの前提は、それが前提である以上、当然ながら柄谷自身によっては言及されていない。もし現実の形式化だけを問題とするのであれば、これらの前提は単に非形式的なもの、不要なものとして廃棄すればいいだけである。哲学的に言えば、むしろそうすべきであろう。しかしわたしは、本論ではそうせず、哲学史的に柄谷の思想を議論したい。なぜなら、これらの前提こそが、柄谷の思想の限界のみならず、現在の現実的な思考を規定している境界だと考えるからである。それは、形式的唯物論とよぶべき思想的態度のことである。

 次節以降では、この形式的唯物論について検討する。

*1:これらについては、第3章で定義しているので、それを参照のこと。

*2:ネーションとは宗教と民族およびその相互関係である、国家とは国家と国民およびその相互関係である、資本主義とは資本と労働者およびその相互関係である、ということ。

*3:貨幣と商品を含む物質的形式とは何か。形式的に言えば、貨幣と商品の物質的形式の物質的再構成は、貨幣と商品になりうる物質である。しかし、第3章第3節で述べたように、貨幣と商品になりうる物質という見方は、市場的物質の成立からさかのぼったものであり、転倒している。実際上は、貨幣と商品を含む物質というのが現実的である。