はじめに

 前回、予告したように、これから数ヶ月にわたって、「トランスクリティークポストモダン」と題する論稿の草稿を書き進め、公開してゆきます。内容は、すでに示した概要の通りで、柄谷行人ジャン=ポール・サルトルの議論を検討するものです。この草稿では、両者の主要著作を読解することから始めてゆくことにします。

 さて、作業にとりかかるまえに、最初に述べておきたいことがあります。これから私は、柄谷とサルトルを論じ、その過程で両者の議論を接合することになるでしょう。このとき、作業が理論的なものであればあるほど、何かしら言外の意図をもつものとして解釈されるだろうことは、容易に想像がつきます。もちろん、どのように読まれても構わないのですが、無用な詮索にもとづく誤解を避けるために、最初に私の意図を明らかにしておこうと思います。

 現在、日本では、柄谷行人の著作が、以前ほど積極的に参照されることはありません。むしろ、柄谷の名前は意図的に避けられているようにすらみえます。その姿は、かつて20世紀半ばのフランスにおいて、「全体的知識人」として圧倒的な影響力を及ぼしながら、一時期を境として、ほとんどまともに取り扱われなくなったサルトルのそれに重ね合わせることができるかもしれません。そうした可能性を、私も否定はしません。例えば、ドゥルーズは、生前最後のインタビューでサルトルに触れ、その模倣者たちこそが、まっさきにサルトルを過去のものとして葬ったのだと述べました*1。私は、まったくその通りだと思うし、その意味では、私もドゥルーズに倣って、柄谷を無視しようとしているひとたちこそ、その模倣者なのだと言うでしょう。

 しかし、私がいま、サルトルや柄谷をとりあげるのは、彼らの模倣者を批判するためなどではありません。あるいは、かつて柄谷がマルクスについてそうしたように、その「可能性の中心」を論ずることで、忘れられようとしている彼らの名前を甦らせようとしているのでもありません。本稿は、そうした哲学史、思想史的な意図とは無縁です。では、私の意図はどこにあるのか。それは、現在の私たちの思考を規定する、ひとつの思考態度の範囲を明らかにすることにあります。その思考態度とは、<批評>のことです。

 ここでいう<批評>とは、狭い意味での文芸批評のことではありません。それは、20世紀的な思考を規定している、言明の読解を思考とみなす態度のことです。議論をわかりやすくするために、さしあたって、単なる言明の読解のことを批評、これに対して、言明の読解が思考であるという態度、および、それを前提とした言明の読解を<批評>と記すことで区別することにしましょう。実際、批評は思考であるという態度=<批評>は、私たちを強く支配していて、現在の私たちは、考える営みにおいて、ほとんど無自覚にこの態度をとってしまいます。私が、サルトルと柄谷を論ずるのは、彼らの議論がその典型だからにほかなりません。

 もちろん、彼らの議論を論ずる私のこの試みは、それじたいが批評です。しかし、これは、いわゆる自己言及だとか脱構築だとか、そのようなものとは関係ありません。そのように読むのは自由ですが、そうした読解=<批評>に、特別な意味はないのです。なぜなら、私が意図しているのは、批評に付された過剰な意味を取り除くこと、それだけだからです。すなわち、批評は批評であって、<批評>はせいぜいそのごく一部をなしているに過ぎない、ということです。

 付け加えておくなら、私は<批評>という20世紀的思考態度を批判することで、21世紀的な思考が可能となるなどといいたいのではありません。20世紀的思考の次に21世紀的な思考がやってくるという思考パターンこそ、典型的な20世紀的思考に他ならないのですから。また、私は決して批評じたいを否定したいのでもありません。現に、私がここで書き進めているものも批評であって、そこには何のアイロニーもありません。批評は、思考と同様に、私たちのひとつの営みであって、その意味では、ことさら肯定する必要も否定する必要もないものです。

 批評は思考ではない、私が本稿でいわんとすることは、それだけのことです。したがって、これから開始される作業のすえに、到達する結論もそれだけです。しかし、批評と思考は違うということなど、ある意味では、当たり前のことではないでしょうか。もし本稿の議論に、そこに直接記されていない意図があるとすれば、それは、そんな当たり前のことを言わんがために、サルトルや柄谷を長々と論じなくてはならない、批評というものの冗漫さに対する違和感の表明だけです。その意味では、それを理解している人には、本稿につきあう必要はないのかもしれません。

*1:ドゥルーズ「思い出すこと」、『批評空間』II-9(太田出版)、pp.6-12