柄谷行人を読む(1):準備

 本草稿では、これからしばらくの間、柄谷行人ジャン=ポール・サルトルの著作を読んでゆきます。ここでは、個々の著作で展開されている議論を丹念に追うとともに、彼らの議論をひとつの一貫した視点のもとに整理しなおす作業を行う予定です。草稿という性質上、どちらからはじめても構わないでしょうし、むしろ歴史的順序からいえば、サルトルから着手するのが妥当かもしれませんが、最初に本草稿を柄谷論と銘打った以上、ここでは柄谷の著作からはじめることにします。


 まずは、個別の作品を読み始める前の準備として、柄谷の仕事の全体像をおおまかに把握しておきたいと思います。簡単にその経歴を振り返っておきましょう。1960年代終わりに夏目漱石論で文芸評論家としてデビューした柄谷は、次第に文芸評論の枠をこえて、哲学的な領域での仕事に足を踏み入れてゆきます。1980年代後半からは、『季刊思潮』、『批評空間』といった雑誌を創刊し、著作活動とともに多くの座談会で発言をおこない、日本の思潮において大きな影響力をもちました。その後、国家と資本に対抗する運動として、2000年にNAM(New Associationist Movement)を立ち上げ、それ自体は解散しましたが、現在も著作や講演での活動を続けています。

 この現在に至るまでの約40年の過程で、柄谷は数多くの著作を発表してきました。以下の作品リストをご覧ください。

Kojin Karatani Official Website>著書
Kojin Karatani Official Website>Publications
哲学の劇場>作者の肖像>柄谷行人

 この一覧を見てもわかるように、柄谷の仕事は多岐にわたっていて、その全体像を捉えるのは少々大変です。まず、各作品の章タイトルからもわかるように、柄谷は、洋の東西を問わず、文学から言語学、経済学、哲学まで、たいへん幅広くかつ多様なテーマを論じています。また、柄谷には日本語でのそれと同じタイトルをもちながら、日本語版とはいささか内容の異なる英語での著作がいくつかあります。これだけでも、全体像を把握するさいの障害となりうるのですが、さらに私たちの混乱に拍車をかけるのが、柄谷が過去の著作を再三書き直していることです。彼はすでに出版された作品に大幅に手を加え、新たなタイトルを付して再出版し、過去のものを自ら絶版にしています。こうした事情が、柄谷の作品のすべてを読み通すことを困難な作業としているのです。ましてや、それらを一貫した視点から整理しなおすことなど、不可能なことのように思われるかもしれません。もちろん、それは簡単なことではありません。しかし   これからその作業を行っていくことになりますので、ここで詳しくは述べませんが   結論を言えば、それは決して不可能ではないのです。ただ、いまはまだ準備段階ですので、ここでは柄谷の著作に共通する、いくつかの特徴をおさえておくだけにしましょう。それだけでも、比較的容易にその全体を見渡すことができるようになるはずです。

 まず、事実から確認しておきます。柄谷の著作は、書下ろしである『世界共和国へ』をほぼ唯一の例外として、すべて雑誌に掲載された論稿、あるいは講演を再編集したものです。これは、いずれの著作も、そのなかで体系が完結する一冊の本というよりは、どちらかというと断片的な思索の集まり、あるいは論稿集という性格が強いことを意味しています。次に、その記述のスタイルについてみてみましょう。柄谷はごく初期から、数多くの作家や思想家、哲学者を俎上にのせ、その著作を引用し、それを解釈しなおす作業を行っています。これは文学史や思想史を、ひとつの論旨のもとに編集しなおす作業だといってもいいでしょう。柄谷自身は、これを「批評」という言葉でよぶでしょうが、私はこの作業の特徴を、言明としての思考の読解という言葉で表現したいと思います。この言葉の意味についてはいずれ明らかにしますが、ひとまずは、思考した結果を見直す作業のことで、思考する作業そのものとは区別されるものであるということだけを理解しておいてください。さて、実際に作品を読んでみると、柄谷が初期から現在に至る数多くの著作を通じて、一貫して言明としての思考を読解し続けていること、そして、その読解の対象もまたほとんど変化していないことに驚かされます。たとえば、マルクスの価値形態論、ソシュール言語学フロイト精神分析デカルトのコギト、といったテーマは、ごく初期から延々と反復されており、なかには引用部分すらまったく変わりがなく、いっけんすると柄谷は、40年にもわたって、ひたすら同じ作業を繰り返しているだけのようにすらみえます。以上のことから、柄谷の一連の著作については、多数の著作群があるというよりは、ただひとつの論考群があるとみなすほうが、むしろ適当のように思われます。

 そして、柄谷の一連の著作には、もうひとつの重要な特徴があります。それは言明としての思考の読解のやりかた、言い換えれば文学史、思想史の編集方法が、しばらく反復された後に、唐突に大きく変化することです。これは一般に、柄谷の「態度変更」、「転回」、「切断」などと呼ばれるものです。混乱を避けるために、本草稿では切断という言葉で統一することにしましょう。この切断には大きく2つあります。ひとつは1980年代初頭、もうひとつは、1990年代中頃におこっています。この2つの切断を、それぞれ<切断I><切断II>として表に整理すると、以下のようになります。


前期(1960年代後半から80年代初頭):
『思想はいかに可能か』、『畏怖する人間』、『意味という病』、『マルクスその可能性の中心』、『日本近代文学の起源』、『隠喩としての建築』、『内省と遡行』


 <切断I>


中期(1980年代中頃から1990年代中頃):
『批評とポストモダン』、『探究I』、『探究II』、『ヒューモアとしての唯物論


 <切断II>


後期(1990年年代後半以降):
『倫理21』、『トランスクリティーク』、『世界共和国へ』


(続く)