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4. 形式的唯物論の完成
4.2. 形式的唯物論とは何か(1)


 私は前節で、本書『世界共和国へ』における柄谷の議論が、形式的唯物論とよぶべきものであることを指摘した。では、この形式的唯物論とは、どのような思想的態度であるのか。

 議論の見通しをよくするために、最初に単純化しておくなら、それは、マルクス唯物論を形式化したものということになるだろう。実際に、柄谷自身が、繰り返しマルクスを肯定的に参照しているから、その議論がマルクスにもとづいているという指摘は、当然にすぎるかもしれない。ただし、ここで注意すべきは、それが単にマルクスの流れを汲む思想、あるいは焼き直しなどではないということである。形式的唯物論という思想的態度は、必ずしも柄谷の独創に還元されるものではなく、むしろ20世紀的思想のいくつかのヴァリエーションのひとつと見るべきである。そしてそれは現在も、現実的にわれわれの思考パターンを、ある程度まで支配しているのである。


 以下に続く数節では、この形式的唯物論について論ずる。まず本節では、唯物論という視点から、ドイツ観念論からマルクス唯物論を経て20世紀後半に至るまでの哲学史を簡単に描いておく。あらかじめ断っておくが、哲学史というものは、設定する形式に応じていかようにも描き出すことができるものであり、それは歴史的事実とは異なる。だから、哲学史の哲学的意義とは、あるものの考え方を、図式的に配置し、理解しやすくするためのものであって、それ以上ではない。以下に描き出す哲学史もまた、形式的唯物論について論ずるために準備されるものである。



 よく知られているように、カントは、人間の理性は物自体を認識することはできないとした。カントによれば、理性を触発する物自体と、認識の対象である物質は異なる。物自体が理性を触発し、感性の直観と悟性の概念のはたらきによって、認識の対象としての物質が構成される。これに対して、ヘーゲルは、物自体と物質の対立、言い換えれば物自体と理性の断絶を、精神において統一する。ヘーゲルによれば、物自体は、認識対象となって、理性の前に現れる精神にほかならない。そして理性もまた、認識の主体となった精神である。すなわち、認識の主体も対象も精神なのであり、認識の過程そのものが、精神の運動である。これが精神の弁証法である。

 いっけん、ヘーゲルはカントが見出した重要な論点を、単調で抽象的な精神に還元したかのようにみえる。実際、ヘーゲルに対する批判はそのようなものが多い。しかし、そうした批判の多くは、ヘーゲルがいかなる意味でカントを乗り越えているのかを見失っており、ひいては後のマルクスによるヘーゲル批判の意義をも見失っている。当たり前のことを確認しておけば、ヘーゲルが物自体と理性を統一した、というとき、何も意図的に統一しようとして統一したわけではない。それは、カントが無自覚に前提した物自体と理性の断絶に、物自体および理性という哲学的概念に共通するひとつの形式を見出したということを指している。この形式が、ヘーゲルの言う精神に他ならない。したがって、ヘーゲルは物自体と理性を区別していないわけではないし、むしろその相違があるからこそ、精神の弁証法は可能となるのである。何より、のちに重要となる単一の主観と複数の主観の相違は、ヘーゲルによる物自体と理性の統一を経なければ、問題となりえない。


 さて、マルクスは、ヘーゲルの思考は観念論的であり現実的ではないと批判し、すべてを統一する精神を排除した。その結果、物自体と物質は統一されたまま、それとして運動することになる。つまり、すべての現実は、物質=物自体の運動に還元される。これが弁証法唯物論である。このとき、精神の排除によって残ったカント的な(認識の主体としての)理性も、物質=物自体に還元される。つまり理性は、物質を加工する=生産する主体として定義される。こうして主体は生産力に還元され、その相互関係である生産関係に、政治、法律、宗教などの上部構造が還元される。また、時間経過とともに、生産関係が変化し、これにともなって上部構造も変化する。これが、史的唯物論である。*1

 このように、マルクス唯物論においては、物質=物自体に還元された、生産主体の相互関係が現実になる。しかしこのとき、精神による統一を失った類と個、および主観と客観の問題が生ずる。つまり、精神の弁証法が否定される以上、個々の主体は個別のままで物質=物自体に還元されなくてはならない。一方で、カント的理性=主観は、確かに生産主体に還元されるのだが、還元されるということは、還元に先立ってあるということであり、それがないということはできない。ここに、主観と生産主体の齟齬、そして個別の主観と複数の主観の齟齬とが、まさしく現実的なものとして現れる。これは哲学に、2つのアプローチを要請することになる。ひとつは、主観と主体の関係を問うものであり、これは個人と社会的現実との関係の問題として、実存主義の流れを構成した。もうひとつは、複数の主観の関係を問うものであり、これは唯物論の前提の下で改めて物自体と物質の関係を問題とし、現象学および論理実証主義の流れを構成した。そして両者は、20世紀において問いを交錯させるのである。


 以下、その20世紀的思想の流れを、このマルクス唯物論から派生した問いへの取り組みという視点からたどっておこう。ハイデガーは、物質と物自体の関係を、物質にも物自体にも実在を前提することなく、世界における存在者と存在の問題として(あるいは世界内存在としての現存在の問題として)、両者の形式的な関係を論じた。このとき、複数の主観の対立を超えた、現象学的形式の地平が構成される*2。一方で、サルトルは、主観と主体の関係について、非主体的な主観、あるいは非主観的な主体である、実存に両者を還元する。ただしサルトルにおいては、実存と主体は相補的であり(実存は主体を選択せざるを得ない)、その当然の帰結として、サルトル実存主義マルクス主義を補完するものであると主張することになる。これに対して構造主義は、実存による主体の選択などというものはなく、ただ主体を規定する構造だけがあると指摘し、いわゆるポスト構造主義は、構造を成立せしめる非主体的実存の地平を示した。ここに非主体的実存と現象学的形式の地平は、同一のものとなる。実質上、マルクスの哲学の生み出した課題は、ここに解消されたといっていいだろう*3

*1:いわゆるマルクス主義者たちが強調してきた、弁証法唯物論史的唯物論という区分は、実際のところ、哲学的にはあまり重要ではない。マルクスヘーゲル弁証法を転倒した時点で、つまりマルクス的な唯物論が確立された時点で、両者は同時に成立するからである。なお、柄谷行人浅田彰とともに、いわゆる弁証法唯物論、自然弁証法史的唯物論というものは、エンゲレスによって捏造されたものだと指摘している(『マルクスの現在』p140)。これは、柄谷自身の思想的立場を、ヘーゲルの批判者(批評家)としてのマルクスに引き寄せるための哲学史的戦略にもとづく言明であり、その意味では、私としてはこの指摘の是非を問うつもりはない。ただ、実際にマルクス自身の哲学において、弁証法唯物論史的唯物論に相当するものがなかったとすることは、マルクスと柄谷との相違を消し去ってしまうことになるだろう。本論の見地からすれば、柄谷の形式的唯物論とは、マルクス唯物論における弁証法唯物論史的唯物論を形式化したものであり、あるいは、こういってよければ、マルクスからエンゲレス的なものを取り除いたものである。しかし、それを取り除くことができるのも、柄谷が20世紀的思想を踏まえているからである。

*2:ただし、ハイデガーにおいては、この現象学的形式の地平に実在性が前提されていることは指摘しておかなくてはならない。

*3:補足しておくと、ここでは教科書的にマルクス主義現象学実存主義構造主義ポスト構造主義という西洋哲学史の流れを踏襲して哲学史を描いたが、実際には、サルトルハイデガー現象学に残る主観の残渣を形式化した、言い換えれば、世界内存在としての現存在を、即自かつ対自(の存在と無)として「脱構築」した時点で、マルクス唯物論から生じた諸問題は哲学的には解決しているのである。ただサルトルは、この世界内存在の脱構築を、そのまま主体による社会参加(アンガージュマン)の問題にすり替えてしまう。構造主義およびポスト構造主義による実存主義的な主体に対する批判は、このすり替えに対してなされているのであり、いずれも「主体」や「構造」を、その都度、即自かつ対自の形式的関係に差し戻す作業である。これらはいわばサルトル的な世界内存在の脱構築の反復であって、その意味では、ここで描いた哲学史サルトルで終了させても構わない。