柄谷行人を読む(2)準備

 このように、柄谷の論稿群は、<切断I><切断II>をはさんで、前期中期後期の3つの時期に分類することができます。これら各時期の特徴については、とりあえずここでは、前期:差異への問い、中期:他者と外部の導入、後期:倫理への到達、と標題をつけておくだけにしましょう。柄谷の論稿群におけるこの2つの切断と3つの時期の意味については、これから本論でおこなう読解作業のなかで明らかにしていく予定です。

 ここで、この分類に関して、注意すべきことをふたつ指摘しておきたいと思います。ひとつは、この分類に相当する作品区分を、ほかならぬ柄谷自身が自覚しており、しばしばその意味についても言及しているということです。例えば2つの切断について、それぞれの切断後に、柄谷はこう述べています。

  • <切断I>について

あえて一言でいえば、本書は《他者》あるいは《外部》に関する探究である。それらの簡単な語は、自分自身をふくむこれまでの思考に対する「態度の変更」を意味している。しかし、書いているうちに、私のなかで、たんに理論的なものでないような、もっと根本的な「態度の変更」がおこった。つまり、私はこの仕事を無期限に持続するだろうという気がしてきたのである。これは私自身にとって信じがたい変化であった。

「あとがき」『探究I』、講談社学術文庫、p254

  • <切断II>について

1989年に至るまで、私は未来の理念を軽蔑していた。資本と国家への闘争は、未来の理念なしにも可能であり、現実に生じる矛盾に即してそれをエンドレスに続けるほかない、と考えていた。しかし、89年以降に私は変わった。それまで、私は旧来のマルクス主義的政党や国家に批判的であったが、その批判は、彼らが強固に存在し続けるだろうということを前提していた。(中略)彼らが崩壊したとき、私は自身が逆説的に彼らに依存していたことに気づいた。私は何か積極的なことをいわなければならないと感じ始めた。

「序文」『トランスクリティーク』、批評空間社、p11)


 このような記述からは、切断とは、本人が意図してそうしたものではなく、あたかも自然発生するかのように訪れるもののようにみえます。もちろん、実際のところがどうなのかは、私たちには想像するしかないし、最終的にはわかりようがありません。ただ、ここで重要なことは、それが自然発生的なものであれ意図的なものであれ、本人が切断を自覚し、それを切断後に解釈しなおし、その解釈を切断後の作業に反映させているということです。つまり、他人が後から振り返ってみたらある時点で作品の性質が変わっていたという類のものではなく、本人が切断後にその切断の意義を積極的に解釈することが、次の時期の仕事の性質を決定しているのです。この点が、後に切断の意味を解明する際に大きな鍵となるので、忘れないでおいていただきたいと思います。

 もうひとつ注意すべきことは、この分類(前期中期後期)は、柄谷がおこなった言明としての思考の読解において出現する切断にもとづいて行ったものであり、あくまでも柄谷の論稿群に適用すべきものだということです。ですから、それ以外の用途にこの分類を用いることは好ましくありません。例えばこの分類を、柄谷の個人史的段階やその時代背景に結びつけることは、技術的には可能です。すなわち、個人史についていえば、前期:文芸評論家としてデビュー後、渡米を繰り返した時期、中期:『季刊思潮』、『批評空間』を創刊し、多くの座談会を行った時期、後期:NAMを立ち上げ、国家と資本への対抗運動を掲げた時期というように。あるいは、時代背景でいえば、前期(1960年代後半から80年代初頭):学生運動の衰退とポストモダン思想の隆盛、中期(1980年代中頃から1990年代中頃):高度消費社会と冷戦崩壊、後期(1990年年代後半以降):情報化社会とグローバリゼーションの全面化、というように。しかし、作品の分類を作品以外のものにあてはめ、そこから何か意味を読み取ることは恣意的な作業でしかありません。そもそも本草稿はあくまでも柄谷の論稿を読解することが目的ですから、今後、柄谷の個人史や、時代背景がその作品に及ぼした影響について論ずることはないでしょう。

 ただし、ここで勘違いしないでいただきたいのは、私が、作品と作者の個人史や時代背景は関係がないと考えているわけではないということです。むしろ柄谷の一連の仕事は、明らかにひとつの時代に支配されているのであり、実際にそれを明らかにすることは、本草稿の重要な課題となっています。ただその時代は、10年単位の時代区分に還元されるようなものではなく、そもそも作品と作者や時代背景との関係を比較する態度にこそ時代はあるのです。これについては、草稿の後半で詳しく論じることになるでしょう。

(続く)