柄谷行人を読む(24)『日本近代文学の起源』

要約:『日本近代文学の起源』、IV「病という意味」、V「児童の発見」

  • 香田蘆花の『不如帰』で、主人公は結核によって美しく病み衰えていく。ここで結核はメタファーとしてあり、結核の神話化がある。
  • 結核菌は結核の原因ではない。結核菌が結核の原因だというのはプロパガンダである。
  • 明治以後、西洋医学だけが医学となった。日本で国家的医療制度が確立したのは明治二十年代である。
  • 日本の児童文学は明治四十年代に誕生した。児童文学者は、当時の児童文学が大人によって考えられた児童であって、「真の子供」ではないと批判する。しかし、「真の子供」なるものは近代国家の制度の産物に過ぎない。
  • 近代日本の義務教育が、子供を年齢別にまとめることによって、従来の生産関係・諸階級-共同体に所属していた子供を抽象的・均質的なものとして引き抜いた。
  • 明治の革命政権が真っ先に実行したのが、学制と徴兵制である。これが「人間」をつくりだした。


 続いて中盤部をみてみましょう。前半部では、日本の近代文学が明治期の急速な近代化において成立したという主題のもとに、「風景」や「内面」といった(小説に限らず絵画、詩歌、演劇を含む)「文学」的な諸概念の相互連関が論じられていました。中盤部でも、やはり同様の主題のもとに議論がすすめられていきます。しかし実際にそこで論じられているのは、章タイトルに掲げられた「病」と「児童」という「文学」上の概念に限定されたものではありません。ここでは前半部までの議論が「文学」の枠組みを超えて、より一般的な制度に及んでいることに注意が必要です。

 「病という意味」では、まず文学作品中の結核のメタファーとロマン派の結びつきが論じられ、そこから西洋医学における「病」という概念そのものに議論は発展していきます。柄谷は結核菌は結核の「原因」ではないと述べます。なぜなら体内に結核菌があることと、発病することは別だからです*1。では何が結核の「原因」なのでしょうか。しかし、そのように「問うてはならない」のです。なぜなら「もともと一つの「原因」を確定しようとする思想こそが、神学・形而上学的なのである*2」からです。柄谷によれば、結核菌が「原因」なのではなく、「結核菌が原因である」というプロパガンダが「結核という病」を成立させたのです*3

 そして柄谷は「客観的」な病気は、近代医学によって作り出されたものであるとし*4、「病」のメタファーが問題なのではなく、「病」そのものが制度化されたメタファーであることが問題なのだといいます*5。しかし、ここで問題にされているのが「病」ではなくむしろ「病原」であることは、次のような記述から明らかでしょう。

たとえば、「病と闘う」というのは、病気があたかも作用する主体としてあるかのようにみなすことであり、科学もそのような「言語の誘惑」に引きずられている。ニーチェにとって、そのように病原=主体を物象化してしまうことが病的なのだ。「病気をなおす」という表現もまた、なおす主体(医者)を実体化する。西欧的な医療に存する枠組はそっくりそのまま神学的である。
同、p147。


 つまり「病原」という概念自体が、「西欧的な医療」という神学・形而上学的な思考の下にあるのです*6。ここで柄谷がその起源を問うているのは、「病」に限らず現象の「原因」を人間や物質に求める科学的な考え方なのです。

 同様の議論の一般化は「児童の発見」においてもみられます。「児童の発見」もまた、明治期における児童文学の起源の問題から論じられています。そして議論は、「自己」、「成熟」、「起源」という概念の「起源」へと発展していきます。

たとえば、ルソーが最初に子供を発見したといわれるのは、けっして彼がロマン派的な「童心」を夢みたからではなく、いわば子供の科学的観察を試みたからである。しかし、彼のいう子供=自然人は歴史的・経験的なものではない。ルソーは、現在の累積された幻想としての「意識」を批判するために、あるいは歴史的な形成物としての制度の自明性を批判するために、方法的に「自然人」を仮設する。……すなわち、子供とは実体的ではなく、方法的な概念である。
「児童の発見」同書、p175-p176。

人間社会に一般的にみられる「通過儀礼」(成人式・元服式)は、「成熟」とはまったく異質である。……通過儀礼において、子供と大人はまったく区別されている。しかし、それは子供と大人の「分割」とは異質である。べつの観点からみれば、この「分割」は、逆に子供から大人への連続性をもたらすのである。そこには通過儀礼におけるような“変身”のかわりに、徐々に発展し成熟して行く「自己」がある。したがって、逆説的だが、子供と大人の「分割」こそが子供と大人の絶対的区別をとりはらうのである。
同、p171。

現代の作家たちは、あたかもそこに真の起源があるかのように、幼年期にさかのぼる。それは「自己」にかんする物語をつくるだけなのだ。それは時には精神分析的な物語であったりする。しかし、幼年期に「真実」が隠されているわけではないのだ。われわれに隠されているのは、精神分析をも生みだしているところの制度なのである。
同、p179。


 ここでの議論に従えば、まず「意識」や「自己」を記述するために方法的に設定された「自然人」によって、対象としての「子供」が見出されます。そしてこの「子供」が見出されるところに、「大人」と「子供」を「分割」しつつ連続させるところとしての「人間」が見出されるのです。したがって、ここでもその「起源」が問われているのは、「児童」ではなく、内面としての「意識」、「自己」と社会的な「人間」の間に成立するひとつの関係なのです。

 こうしてはっきりすることは、中盤部で実際に論じられているのが、章タイトルにある「病」と「児童」ではなく、より一般的な「原因」と「人間」という概念だということです。前者は、人間と物質の諸関係を現象として観察し、その根拠を特定の人間や物質に還元する考え方のことであり、後者は、自己認識を外界の人間に投影する考え方のことです。これらは人間科学の基礎をなす考え方にほかなりません。そして両者はそのまま前半部で論じられた「記号論的な布置」の上にあります。人間と物質の諸関係を現象として観察するという視点(「客観物」を「風景」とみなす)があるから、現象の「原因」を人間や物質に還元することが可能であり、意識という「内面」が外界に投影される(「告白」によって「内面」が「風景」に送り返される)から、「人間」が主体として成立することが可能なのです。

 そして両者は具体的な制度によって成立しています。柄谷は「原因」は西洋医学の導入と制度化、「人間」は徴兵制と学制という明治日本の制度によって生れたとしています。したがって中盤部は、ごく単純化してしまうなら、人間科学が具体的な政治的制度=社会的諸関係に規定されていることを述べたものだといえるでしょう。


日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)

*1:「(つまり、)結核菌は結核の「原因」ではない。ほとんどすべての人間が、結核菌やその他の微生物病原体の感染をうける。われわれは微生物とともに生きているのであって、むしろそれがなければ消化もできないし、生きていけない。体内に病原体がいることと、発病することとはまったくべつである。」「病という意味」同書、p142。ただしこの議論は、近代医学における生物学的知見と臨床的知見の接合を考慮しておらず、医学論あるいは医学批判として皮相的である。本章にはそれ以外にも「西洋の中世・近世の伝染病は、その「病原体」が見出されたときには、事実上消滅していた。」(p142)、「虫歯はほとんど遺伝的なものであって、歯をみがいてもむだだからである。」(p143)などという記述が、何の参照もなく断定的に記されている。30年前に書かれたものであることを割り引いても、これらは単に嘘であるといわざるを得ない。その意味ではこの「病という意味」に、例えばカンギレムやフーコーらの作業と比較しながら読む価値はない。しかし本草稿ではそのような医学論的議論や医学的知見を「カッコに入れて」読解する。なぜなら柄谷の「批評」においては、そこで参照されている理論や経験的事実の妥当性を批判しても、必ずそこから逃れる部分があり、むしろその部分こそが「柄谷的なもの」として生き残るからである。したがって柄谷に対する批判は、まずこの理論や経験的事実に還元されないものを析出した上でなされなくてはならない。このような読み方の方法論的意義については、まもなく論ずる。

*2:同、p142-143。

*3:「たしかにコッホは結核菌を発見した。しかし、それが結核の原因だということはプロパガンダである。」同、p143。

*4:同、p145。

*5:同、p145。

*6:同、p147。