柄谷行人を読む(25)『日本近代文学の起源』

要約:『日本近代文学の起源』、VI「構成力について」

  • 森鴎外は「理想」を主張することで、坪内逍遥の併列的な分類を時間化しようとした。
  • しかし鴎外は大正期に入って「歴史小説」を書き、作品における配置を非中心化する。近代文学の配置を形成した鴎外自身が、それを非中心化しようとしたのである。
  • 芥川と谷崎の「『話』のない小説」論争において、「話」を断片化することと構成化することが対立しているように見える。
  • 芥川は私小説を中心をもたない断片の諸関係としてみた。一方の谷崎は物語を書いたのであり、物語とは均質空間から排除されたものである。
  • つまり「私小説的なもの」と「物語的なもの」は共通するものを持っている。両者は制度に対立するのではなく、むしろそれを活性化する。


 後半部は中盤部までとは趣が異なり、明治日本の近代化と「文学」の成立という主題は背景に退いてます。代わって主題として前景化されるのが、遠近法と「深層」です。柄谷によれば、遠近法の「等質的空間」が時間化されるところに「深層」が生れます*1。「深層」とは現実のもろもろのあらわれを規定する法則のようなものです。この「深層」から現実的な「表層」に至る発展を説明するものとして「歴史」は生み出されます。つまり「歴史」がわたしたちの現実を規定しているのではなく、「歴史」そのものがすでに規定されたものなのです。このような認識のもとに、2つの論争が論じられます。

 「没理想」論争は、明治二十年代に坪内逍遥森鴎外の間で繰り広げられた批評をめぐる論争です。この論争では、シェークスピアの作品に価値判断を排した「没理想」を見出す逍遥に対して、鴎外が「理想」=価値判断を掲げて議論を挑んでいます。柄谷はそこに非歴史的で空間的な逍遥と、歴史的で時間的な鴎外の対立を見出すとともに、後の鴎外の歴史小説に歴史を非中心化しようとする態度をみてとります。つまり、鴎外は小説の空間的な配置を、近代文学として歴史化したうえで、さらにそれを非歴史化したのです。

 一方の「『話』のない小説」論争は、昭和二年に芥川龍之介谷崎潤一郎の間でなされた小説の「話」(「筋」)をめぐる論争です。この論争では、「話」を断片化する「私小説」の芥川と、「話」を構成化する「物語」の谷崎との間に対立があるようにみえます。しかし柄谷は、ともに遠近法的な「等質的空間」に対する反発であるという意味で、芥川の「私小説」と谷崎の「物語」は共通しているといいます*2。そして両者は近代文学の制度に反発するようにみえながら、ともにその内部にあって制度を支持しているのです。

 以上の後半部の議論から、ふたつの事柄を読み取らなくてはなりません。ひとつは近代文学の成立過程における諸作家の役割です。鴎外は、近代文学の制度化の果てに、制度の中で制度を捨て去ろうとします。芥川と谷崎は、ともに近代文学の制度に抵抗しようとしますが、その抵抗そのものは制度の内部でなされています。すなわち、彼らがどのような態度を取ろうと、すでに近代文学の制度の内部にいるのであって、彼らの態度に先立って近代文学は制度化されているのです。

 これは言い換えれば、個々の人間のとる態度はすでに近代の制度に規定されているということです。その意味では、近代とは、わたしたちの現実を規定している「深層」にほかなりません。そしてこの近代という「深層」が成立する過程=近代化において、個々人の振る舞いはあらかじめ規定されています。では何が近代化を進行させたのでしょうか。それは古代、中世、近代といった時代=「歴史」を貫く「深層」であるところの歴史です。つまり近代という「深層」をさらに規定する「深層」としての歴史が、近代を現実化したのです。

 しかし、すでにみたように、柄谷は後半部の最初で「深層」を批判的にとらえています。これが読み取るべきもうひとつの事柄です。柄谷は「深層」を見出す視点こそが近代の制度であり、19世紀に生じたといっています*3。そしてその直後に2つの論争を論じ、そこに近代という制度という「深層」と、それすらを規定する歴史という「深層」を見出しているのです。つまりここで柄谷は、みずから批判する「深層の発見」を自覚的になしているのであり、逆に言えば、自らの試みをあらかじめ自己批判しているのです。


日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)

*1:「構成力について」同書、p201。

*2:同、p232。

*3:同、p202。