柄谷行人を読む(29)方法論的批評としての批評的還元

 方法論的批評の方法というものを、あえてひとことで表現するとすれば、それは対象を<批評>の対象に還元する手順ということになるでしょう。対象を対象に還元する、というのは同語反復(<批評>の対象は<批評>の対象である)のようにも聞こえますが、そうではありません。これは<批評>の対象が、対象作品の記述内容ではなく、そこから一連の手順を踏んで構成されたものであることを意味しています。ここでは、この一連の手順のことを総称して批評的還元とよぶことにします。批評的還元にはいくつかの段階があります。


批評家論的還元

  • テクスト的還元

 特定の批評家の諸作品を作品別にではなく、いったん一連の作品群=テクストに還元する。この際に、個々の作品の成立過程については判断を保留する。ただし諸テクストの時系列的配置は、あくまでも記述の方法として保持する。

  • 構造的還元

 諸テクスト中で論じられている批評対象の事実関係については判断を保留し、個々のテクストの批評構造のみを抽出する。つまり、その批評が参照する科学的事実、歴史的事実の真偽は問わず、あくまで対象となるテクストの構造だけを明らかにする。その上で、諸テクストの批評構造の相互関係を明らかにする。


批評論的還元

  • 歴史的還元

 上記の批評家論的還元によって見出された批評構造を、他の批評家の批評構造に遡行的に接続する。このとき、批評家相互の事実的な影響関係については判断を保留する。つまり、実際にその批評家が先行する批評家の作品を読んで、そこから影響を受けたのかどうかは問わない。ただし、あくまでも記述の方法として、諸批評家の時系列的配置は保持する。こうして批評構造の連続性を見出すことで、諸批評家の固有名が還元され、その結果、歴史も還元される。

  • 地平的還元

 個別の作品、固有名、歴史が還元された批評構造を支える地平を見出す。このとき<批評>はすべてこの地平に還元される。


 これらはあくまでも形式的な段階であって、決してこの順番に手続きがなされなくてはならないということではありません。しかし、この順番に記述することは、方法論的批評をそれ自体ひとつの論稿として成立させるには重要です。そこで本草稿では、方法論的批評をあくまで批判の方法として採用するのと同様に、この形式的段階もまた記述の方法として採用することにします。本草稿の流れに沿って言えば、まず、柄谷の諸作品の批評家論的還元として、諸作品を一連の論稿群とみなし(テクスト的還元)、個々の批評対象の事実関係、たとえば科学的事実や歴史的事実に関する議論の真偽については判断を保留したうえで、各テクストの批評構造を明らかにします(構造的還元)。そして、それを批評的還元において、サルトルの一連の議論の批評構造と接続し(歴史的還元)、最後に<批評>そのものの地平を描出するのです(地平的還元)。

 繰り返すように、これはあくまでも方法論的批評ですから、最終的にはこの過程そのものが棄却されなくてはなりません。もちろん棄却の後に、この過程を反復することは可能です。なぜなら<批評>とは違って、批評そのものは決して否定されるものではないからであり、それが批評である限りにおいて、方法論的批評は何度でも繰り返すことが可能なのです。その意味では、本草稿は<批評><批評>としての論稿を完成させるべく、その完成(<批評>の破棄)から振り返って方法論的に準備をしているのです。