柄谷行人を読む(35)<切断I>

 さて、大変長い道のりでしたが、ここまでで前期柄谷の論稿群の読解は終わりです。すでに繰り返し確認したように、前期柄谷は、実存と社会の対立からはじまり(『畏怖する人間』)、その対立が理論と現実の隔たりに基づくものであることを見出し(『意味という病』)、両者を一致させることを試みました(『マルクスその可能性の中心』、『日本近代文学の起源』)。そしてその一致が、言明による自己言及的な形式体系において可能であることを示しました(「内省と遡行」「隠喩としての建築」「形式化の諸問題」「言語・数・貨幣」)。しかし、理論と現実の隔たりを局所的に解消するだけでは、両者の隔たりが完全になくなることはありません。一方で、理論と現実の隔たりが完全に解消されてしまえば、隔たりを解消する作業がはじめから成立しないことになります。どちらにせよ、現にある両者の隔たりから、その隔たりを完全に解消することはできません。こうして前期柄谷はジレンマに陥ったのでした。ここまでが、これまでの読解によって明らかとなった流れです。

 しかし、結局、柄谷はこのジレンマを乗り越えます。それが<切断I>です。ではどうやって乗り越えたのでしょうか。結論を言えば、柄谷は理論と現実の一致した言明そのものとなることで、このジレンマを乗り越えたのです。正確には、自らの言明の条件を、自己言及的な形式体系をなす言明の条件と一致させることで、理論と現実の隔たりを解消させ続けたのです。こうして柄谷は、理論と現実が一致し続ける言明の地平において、言明の相互関係を見出すことを可能としたのです。『探究I・II』を中心とする中期の論稿群でなされているのは、この相互規定を言明の地平に描き出す作業なのです。

 その意味では、<切断I>の前後で、それまでなかった新たな問いが導入されたわけではありません。むしろ前期からの必然的な流れとして、中期は訪れたのであり、その意味では前期と中期は連続しているのです。


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 それでは、本草稿における柄谷の読解作業は、ひとまずここまでとしましょう。次回は「形式化」期と<切断I>に関連して、いくつか補足的な議論を行うことにします。