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ここで少し歴史を振り返っておこう。
『存在と無』は、一切を<あらわれ>=現象に還元する。
そこには、現象から離れて独立して存在する実体などない。
もちろん「私」も例外ではない。
「私」は現象と現象の関係そのものであって、それ以上でもそれ以下でもない。
サルトルの有名な言葉に「実存は本質に先立つ」というのがある。
これは、個別の現象どうしの関係である「意味」(=本質)が見出されるとき、現象と現象の関係そのものである「私」(=実存)は常にすでにそこにあるということである。
逆に言えば、「私」は個別の「意味」を、何にも頼ることなくひたすら選択し続けている。
まさに「人間は自由の刑に処せられている」のである。
では、実存による本質の選択が避けられない自由であるとして、実存は特定の本質を選択すべきなのか。
もし選択すべきだとすれば、何を選択すべきなのか。
こうして『存在と無』は、倫理についての問いで結ばれるのである。
しかし、現実的に考えてみよう。
「私」は決して無制約に自らの「意味」を選択できるわけではない。
どんなに「私」が決断し選択しようと、国家元首やオリンピック・メダリストになれるわけではない。
実存と本質の関係には、あらかじめ何かしらの制約がある。
それは他人との関係であり、つまり社会である。
そこでサルトルは『弁証法的理性批判』において「私」と社会の関係を描いた。
それは「私」と社会を、ともに現象と現象の関係に還元する作業である。
サルトルによれば、「私」も社会もひとしく現象と現象の関係であり、両者はお互いに結びついている。
端的に言えば、「私」は究極的には社会そのものとなりうるものであり、誰かが「バスチーユへ!」と叫べば、それをきっかけに社会の構成員が続々とバスチーユに集まり、革命が起こるのである。
ここに思想家としてのサルトルの基本的なコンセプト 先の思考実験での閉じたコミュニティーにおける特権的な思想家像 がある。
「私」=社会としての思想家であること。
率先して「バスチーユへ!」と叫び、社会を変革に導くこと。
それが全体的知識人サルトルの倫理にほかならない。
しかし、このような考え方はすぐさま構造主義者たちによって批判された。
批判の要点は、「私」と社会は違うし、それらは決して現象と現象の関係には還元されないということである。
ドゥルーズとデリダは、このサルトル批判を徹底して突き詰めたのだといっていい。
彼らは、自身の発する言葉もまた<あらわれ>であることを強く意識していた。
そこで20世紀哲学のもうひとつの流れ、すなわち論理実証主義の流れを吸収し、現象と言語をひとつの地平に埋め込んだ。
それが言明である。
彼らは、すべてを言明に還元し、言明に還元されないものを、言明をもちいて言明において示した。
それがドゥルーズの「差異と反復」であり、デリダの「脱構築」である。
そこには、確固たる「私」も明確な社会の境界もない。
それらは言明に還元されない何かとして、ただネガティヴに示されるのみである。
ここで注意すべきは、こうした一連のサルトル批判において、すべてを<あらわれ>に還元するという考えそのものは捨てられていないことである。
つまりサルトルの哲学の基本的コンセプトはそのまま継承されているのであり、むしろこれらはサルトルの問いを徹底したものとみるべきである。
これまでにも幾度となく論じたように、柄谷の「自由であれ」「無限の未来に向かってアソシエーショニズムを実現せよ」という倫理=理念は、言明の地平にとどまれということを意味している。
それは同時に、言明に還元されないもの一切を、言明と言明のあいだの往還に封じ込めることである。
そこでは、「私」の選択の自由と「かくあるべし」という社会的「意味」が矛盾なく成立する。
これが、あの『存在と無』の最後に予告された倫理でなくて何であろうか。
こうしてサルトルによって先駆的に切り開かれた20世紀的思考は、その批判的継承者たちによって、すべてを言明の地平に還元することで完成されたのである。