飢えた子を前に・・・哲学に何ができるのか?

(6)最終回

いまさらポストモダンの議論を引き合いに出すまでもなく、われわれには世界の全体を見渡すことは不可能である。そもそも、この世のすべての問題を引き受け、それらをまるごと解決する方法を示すことなど、はじめから不可能だし、誰もそんなものは求めていな…

(5)

では本題に入ろう。私はいったい何を問題にしているのか。それは、この20世紀的思考が言明と言明に還元されないもののあいだに打ち立てた、恣意的で限定的な関係である。そして言明のみを思考可能なものとし、それ以外のものを十把ひとからげに思考の枠外に…

(4)

ここで少し歴史を振り返っておこう。20世紀の前半、サルトルは現象学を完成させた。『存在と無』は、一切を<あらわれ>=現象に還元する。そこには、現象から離れて独立して存在する実体などない。もちろん「私」も例外ではない。「私」は現象と現象の関係…

(3)

勘違いしないでいただきたい。私は言論など役に立たないと馬鹿にしているわけではない。「ごちゃごちゃ言うより、行動しろ、実践しろ」と叫ぼうとしているのでもない。ただ、言論にはいったい何ができるのかと問うているのである。そして、なぜ皆、その問い…

(2)

想像してみよう。 ごく一部の人間だけが情報にアクセスできる、閉じたコミュニティがあるとする。このコミュニティでは、情報にアクセスできる人間が、特権的にコミュニティのなかで何がおこっているかを<正しく>把握することができる。そしてそこから<正…

(1)

このところ立て続けに問いを発してきた。 正しいことを言えばそれで何かどうにかなるのかね、この言論過剰の時代に 白石市民の、白石市民による、白石市民のための「日本」思想では、「日本」は微塵も変化しないんじゃないのかい 米軍に口唇裂を治してもらう…