Saigon... shit; I'm still only in Saigon...
Y先生一家と一緒に旧ニャチャン空港のそばのインターナショナル・スクールを見学。
フランス領事館のサポートを得て運営されているらしい。
その後、私用のため、19時20分のフライトでサイゴンへ。
第3区の一泊20ドルのホテルに泊まる。
(3)
勘違いしないでいただきたい。
私は言論など役に立たないと馬鹿にしているわけではない。
「ごちゃごちゃ言うより、行動しろ、実践しろ」と叫ぼうとしているのでもない。
ただ、言論にはいったい何ができるのかと問うているのである。
そして、なぜ皆、その問いを避けようとするのかと問うているのである。
先日、私に対して「40年前の議論」だという指摘があったが、それにはまさしくその通りだと答えておく。
ここに明言しよう。
この問いは、かつてサルトルが発したものの不評を買い、黙殺され続けてきたあの問い、「飢えた子を前に文学に何ができるのか」の変奏にほかならない。
***
サルトル・・・それは忘れられた存在である。
そうでなければ、忘れられるべきものとして記憶されている存在である。
1940年代から60年代にかけて、フランスのみならずヨーロッパの思想界に君臨したこの全体的知識人は、ひろくアジア、南米にまでその名を轟かせながら、その後、急速に影響力を失った。
いまやその名は、多少の感傷と憐れみとともに口にされるのみである。
サルトル研究者の永野潤はこの状況を「サルトルフォビア」と呼び、「サルトルはいまでも現役である」と主張している。
私はそれに全面的に同意する。
そして同意するがゆえに、その思想を根こそぎ葬り去らねばならないと考える。
どういうことか。
先の思考実験で、閉じたコミュニティにおいて<正しい意見>を発信し、ひとびとの行動に影響する特権的な思想家。
これは、まさしくサルトルのことである。
そして、開かれたコミュニティにおいて党派争いをしている名もなき思想家、それがわれわれである。
そう、確かにサルトルは現役なのである。
サルトルは死んだが、かわりにわれわれがプチ・サルトルになったのだ。
そしていま、この世界を覆いつくした無数のプチ・サルトルたちが、そうすれば何かどうにかなるのかなど微塵も疑うことなく、サルトル気取りであたりかまわず<正しい意見>を垂れ流しているのである。
サルトルの言葉を借りるなら、まさに「サルトルは現代の乗り越えられない地平」なのである。
だからこそ、われわれは長いあいだ放置され続けてきたこの問いに立ち向かわなくてはならない。
われわれの思考が乗り上げてしまった、大きな暗礁を乗り越えるために。
ニャチャンの日本人
先週後半から日本人会や日本人ゲストの来訪が続き、あまり海外にいるという感覚がしない。
今日もそのゲストと市内のホテルに勤務している方たちと、日本人だけ総勢8人で韓国料理屋へ行って夕食。
ニャチャンでこんなに多くの日本人と接触することはいまだかつてなかった(道行くバックパッカーの兄ちゃん達と話をしたことはあるが)。
だれもその総数を把握していないが、たぶん、ニャチャン在住の日本人は10名以上はいる。
異国の地にたったそれだけの日本人が住んでいたら、日本人村でも形成しそうなものだが、意外とそうでもない。
今日会ったホテルのスタッフの方も、こっちは2年、向こうは3年以上もニャチャンに住んでいるのに初対面だった。
その他のひとたちも顔を知っているのは数名で、あとは「あのへんで日本人が仕事しているらしい」という程度の噂でしか知らない。
結構ドライな関係なのである。
明日、さらに日本からゲストが来る。
(2)
想像してみよう。
ごく一部の人間だけが情報にアクセスできる、閉じたコミュニティがあるとする。
このコミュニティでは、情報にアクセスできる人間が、特権的にコミュニティのなかで何がおこっているかを<正しく>把握することができる。
そしてそこから<正しい意見>を導き、コミュニティに向かって発することができる。
この<正しい意見>はコミュニティ内の人々の行動に強く影響するだろう。
ほとんどの人は、コミュニティの内部の「現実」を知らないからだ。
このとき、その<正しい意見>によってコミュニティの「現実」を変えるものは、知識人あるいは思想家とよばれる。
次に、情報網の発達によって、誰もが情報にアクセスできる開かれたコミュニティになったとする。
ここでは誰でも自由にコミュニティの内部や外部の「現実」を知ることができる。
こうなると、権利上、全員が「現実」について<正しい意見>を持つことができる。
しかし、誰もが<正しい意見>を持っているのだから、逆に他人の<正しい意見>には耳を貸さなくなる。
こうして開かれたコミュニティでは、個々の<正しい意見>が「現実」に及ぼす影響は小さくなる。
同時に、かつて閉じたコミュニティにおいて特権的な役割を果たしていた思想家もいなくなる。
ただし、決して思想家そのものがいなくなるわけではない。
コミュニティのいたるところが、無数の名もなき思想家によって埋め尽くされるのである。
***
もちろん、これはたかだか思考実験にすぎないし、実際にこのような現象がおこっているというわけではない。
しかし、こう考えると、現在のわれわれの直面する状況を理解しやすくなることは確かだ。
多くの人たちが、自分の<正しい意見>を主張している。
そしてそれをコミュニティの「現実」に向かって発している。
しかし誰もが<正しい意見>を主張しているから、自分の意見を通すには、まず他人の<正しい意見>との違いを強調しなくてはいけない。
こうしてコミュニティの「現実」をめぐって無数の党派が形成される。
この党派のあいだでは、構成員がめまぐるしく移り変わる。
しかしお互いにけん制しあうばかりで、「現実」そのものには何一つ影響が及ばない。
かくて名もなき思想家たちは「どうせ自分の意見など社会に反映されるはずがない」と断念するしかないのである。
これはほとんどヨーロッパ中世の神学の世界である*1。
何か「現実」に問題があれば、一斉にいたるところでその意味と社会のあるべき姿について喧々諤々議論が展開される。
もし、そのなかで誰かが「正しいことを言えばそれで何かどうにかなるのか?」という問いを発したとしよう。
すかさず、それは議論の梯子はずしだとか、そんな古臭い議論に付き合えないとか、自分だけメタな視点に立とうとしているとかいう感情的な返事が返ってくるか、それでも言論以外に手はないのだからと急にトーンダウンするか、多くの場合は単に無視されるだけだろう。
しかしその苛立ちに満ちた反応は、「神に祈ればそれで何かどうにかなるのか?」という問いに対する神学者のそれと何が違うのか。
何も違わない。
ただ対象が「神」から現代社会の「現実」に、方法が「信仰」から「言論」かわったというだけのことである。
われわれにとって、言論と「現実」の関係は絶対である。
「現実」に向かって言論を発することが重要なのであって、その言論が「現実」に反映されるかどうかは問うてはならない現代のタブーなのである。
この問題意識に立つ限り、私はこれまで言及してきた、柄谷、宮台、東、あるいは浅田彰といったひとたちに、いくらかシンパシーを感じはする。
彼らは少なくとも、「<正しい意見>を言いさえすればそれでよい」とは思っていない。
だから「現実」を変える運動を組織しようとしたり、意図して挑発的な振る舞いをしたり、あるいは唐突にスタンスを変えてみたりする。
そこには彼らのためらいがある。
しかし、どんなに心の中で悩んでいようと、最終的に言論に訴えていることに変わりはない。
「<正しい意見>を言いさえすればそれでよい」と思っていようと「<正しい意見>は不可能だがそれを言うしかない」と思っていようと、やっていることは同じである。
結局彼らも、「現実」神学に身を捧げる言論万能主義者に過ぎないのだ。
(不定期に続く)
ニャチャン駅前の本屋
もちろん、ここニャチャンにもいくつか本屋はある。
しかし、どれも昔ながらの本屋で、並んでいるのは大抵TOEIC対策本、ベトナム旅行ガイド、学校の教科書、『ドラえもん』、『名探偵コナン』だから、もうすこし「カルチャー」を求める人間は、はるばるサイゴンまで出かけなくてはならない。
それがつい先日、ニャチャン駅前に初の大型書店がオープンしたという。
最近、ベトナム国内に書店や映画館を次々と展開しているフォンナム・カルチャー株式会社(PNC)の手によるものらしい。
さっそく夕方、仕事帰りに寄ってみた。
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まず外観。周囲にまったくマッチしない洗練されたデザイン。この前をシクロやバイクタクシーが駆け抜けていく。
玄関を入ると、正面をにぎやかに飾るベストセラーの棚。やはり若い作家の恋愛小説が多い。
海外小説の翻訳本も充実している。日本のものでは当然、ハルキ・ムラカミで、ほとんどの作品がベトナム語に翻訳されている。
ベトナムの本屋の定番「ホーおじさん(ホーチミン)」とベトナム戦記のコーナー。たぶん、書店経営に際して一定数の本を置くことが義務付けられているのだろう。実際に手に取る人はまずいない。
一方、人が集まるのはビジネス書、自己啓発本、そして児童書のコーナー。いまやどこの国も同じだ。
書棚の奥に追いやられたレーニンの顔がこころなしか寂しそうだ。マルクスは・・・少なくとも今日、私が探した限りでは見当たらなかった。
ちなみに私は、ベトナム国内で本屋に行くと、必ずタオの書いた本やタオについて解説した本がないか探してみるのだが、いまだかつて目にしたことがない。今日も見当たらなかった。
ハノイ生まれのベトナム人で、20世紀の哲学史の片隅にその名を残す、悲劇の哲学者チャン・デュク・タオ。
普通、第三世界出身で、旧宗主国フランスの哲学界で一目置かれるほどの哲学者がいたら間違いなく本国では国民的英雄だろう。
しかし、タオの場合、共産党にその思索活動を絶たれたという経緯からか(いちおう公式に復権したことになっているらしいが)、文化人の間でもあまりその名が口にされることはない。
思想書のコーナーの目立つところには、キルケゴールやフーコーの入門書が置いある。ここにはなかったが、リオタールやデリダの著作もベトナム語に訳されているらしい。
ベトナム語のサイトをdeconstructionで検索すると、いくつか若い人の運営しているブログサイトにヒットする(残念ながら、私の読解力では十分に理解できないが)。
彼らによってタオが<再発見>される日もそう遠くないだろう。
***
というわけで、ようやくサイゴン並みの文化がニャチャンに入ってきたという感じだ。
でも、もうすぐここにある本のコピー本が路上に並ぶんだろうな。
それがベトナム。