柄谷行人を読む(21)『日本近代文学の起源』
『日本近代文学の起源』は『マルクスその可能性の中心』と違って、明確な起承転結があるわけではありません。しかし、その論点から大きく3つのパートに分けることができます。すなわち、近代文学の基本概念の成立を論じた前半部(I「風景の発見」、II「内面の発見」、III「告白という制度」)、人間科学の概念と国家制度との関係を論じた中盤部(IV「病という意味」、V「児童の発見」)、および明治文学における2つの論争を論じた後半部(VI「構成力について」)です。
ここからは従来どおり、各パートを簡単に要約しながら内容を追っていくことにします。その際に注意すべきことは、歴史的事実に関する記述にとらわれすぎないことです。本書はどうしても章のタイトルにひきずられて、各章がそれぞれ「風景」、「内面」、「告白」、「病」、「児童」の歴史的な成立過程を論じたものと解釈してしまいがちです。それは確かに間違いではないのですが、それではけっきょく本書は社会構築主義の試みでしかないことになり、その背景にある「言語に関する問い」が見えなくなってしまいます*1。したがって本書の議論をたどる際には、歴史的な成立過程の背景にある諸概念の相互関係を丹念にみていくことが重要です。それによって、本書は従来のイメージとは全く異なる様相を呈するものとして、私たちの前に現れてくるでしょう。
要約:『日本近代文学の起源』、I「風景の発見」、II「内面の発見」、III「告白という制度」
- 「風景」が日本で見出されたのは明治20年代である。「風景」以前の風景とは言葉であり、過去の文学であった。
- 「風景」はひとつの認識的な布置であり、いったんそれができあがると、起源も隠蔽される。
- 言文一致は言を文に一致させるのでも、文を言に一致させるのでもなく、新たな言=文の創出である。
- 「内面」は記号論的な布置の転倒のなかであらわれたものである。いったん「内面」が存立すると、素顔や素顔としての風景はそれを「表現」するものとなる。
- 告白という制度が、告白さるべき内面、あるいは「真の自己」なるものを産出する。
- 明治二十年代にキリスト教は大きな影響力を持った。キリスト教に反応したのは旧士族である。
- キリスト教は主人たることを放棄することで主人(主体)たらんとする逆転である。神に服従(サブジェクト)することで、主体(サブジェクト)を獲得する。
- 彼らが告白を始めた。告白はねじまげられたもうひとつの権力意志である。
前半部では、まず最初に「文学」が明治日本の急速な近代化の過程において発見されたものであり、それはひとつの転倒であるという本書の基本モチーフが示されます*2。そしてこの転倒は、西欧においては長期にわたって生じたためにみえにくいが、日本では明治時代の急速な近代化=西欧化において短期間に成立したために、その過程が見えてくるとされます*3。そのうえで「文学」をめぐる諸概念として、この前半部ではおもに「風景」、「内面」、「言文一致」、および「告白」の成立が論じられることになります。ただし、これらは決して各々が個別に成立したわけではありません。
私はすでに明治二十年代における知の制度の確立が隠蔽するものについて述べてきた。それらは互いに連関しあっている。この時期の「転倒」について語ることの困難さは、本当は、それらが相互的に連関し規定しあうものだというところにある。
「病という意味」同書、p139。
つまりこれらは、近代化において一挙に成立したものであり、言い換えれば近代というひとつの制度を構成するパーツなのです。したがって本書は、明治20年代の歴史的事実を検討することで諸概念の成立過程を解明し、その総和として近代化をとらえたものではありません。まず近代を構成するパーツの相互関係があって、その相互関係が一挙に出現したという事態を歴史的事実を参照することで記述しているのです。柄谷自身の言い方を真似ていえば、本書は構造論的因果性として遡行的に「明治20年代」を見出しているにすぎないのです*4。