柄谷行人を読む(37)補論II:「日本ポストモダニズムの<起源>:柄谷行人、浅田彰、東浩紀」前編

 柄谷行人の「言語・数・貨幣」は、第二章から唐突に議論の様相が変化する。この論稿は、「内省と遡行」(1980年)以降の柄谷の試みの集大成となるべく、1983年4月から雑誌「海」に連載がはじまった。しかし、その議論は途中から動揺し、同10月には未完のまま連載が終了してしまう。そしてその後、柄谷が同じ試みを繰り返すことはなかった。なぜ、それは打ち切られなくてはならなかったのか。おそらくそれを解明する鍵が、この第二章にある。

 整理してみよう。「言語・数・貨幣」の議論は、基本的には先行する論稿「形式化の諸問題」の構図を踏襲している。最初に柄谷は、形式化と形式体系を区別する。そして形式化の徹底により、形式体系は自己言及的な形式体系となるとする。この自己言及的な形式体系において、一元的な形式体系はその一元性を保証するものを失い、解体される。同時に一元的な体系は、自己言及的な形式体系の自己言及性を禁止するところに成立するものとなる。このとき、この一元的な形式体系が解体/形成されるところに、「自然」あるいは外部性が見出されるだろう。これが第一章までの議論である。

 しかし、第二章で変化が訪れる。まずその冒頭で、それまでみられなかった「意味(サンス)の過剰」、「本源的な欲動のアナーキー」、「生命エネルギーの過剰」、バタイユの「呪われた部分」、クリステヴァの「シンボリック/セミオティック」といった用語が、立て続けに何の解説もなく登場する。そして、一元的な形式体系の解体にとどまらず、自己言及的な形式体系を突き抜けたところに「自然」あるいは外部性が想定されるようになる。柄谷自身は直接言及していないが、ここに同論稿の連載中(1983年4月から10月)に刊行された浅田彰の『構造と力:記号論を超えて』(同年9月)の影響を否定することは難しい*1。ここで、柄谷がどの時点で『構造と力』を読んだか、あるいはそれに先立つ論稿に接したのかという事実関係を推測しても得るものはないだろう*2。ただ『構造と力』の議論の構図が、「言語・数・貨幣」の第一章まではなく、第二章にはあることは確かである。そしてそうである以上、<批評>的には、『構造と力』こそ「言語・数・貨幣」を終了させ、続く<切断I>を導いたものであるといわなくてはならない。


 確認しておけば、『構造と力』は、構造主義ポスト構造主義とよばれた思潮を明快な見取り図のもとに整理した作品で、当時の日本にフランス現代思想ブームを巻き起こした。その議論はこうである。はじめに「過剰があった」。過剰とは人間の生命の秩序(ピュシス)からのズレである。このズレによってピュシスは無秩序なカオスに変貌する。カオスに投げ込まれた人間は、そこに象徴秩序をうちたてる。象徴秩序とは交換関係である。これには3つのパターンがある。コード化:一般交換が円環をなす、超コード化:超越的な中心が交換の総体を吊り支える、脱コード化:交換を吊り支える中心が再び交換の場に戻る。コード化、超コード化において過剰は回収されないが、脱コード化において、過剰は際限のない前進運動に回収される。最後に、そこからさらに外に出なくてはならないと述べられて、議論は終る。

 この最後の脱コード化の外として持ち出されるのが、ドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」であり、多数多様性である。浅田は「リゾーム」が何であるかを理論的に説明してはいない。それは象徴秩序の外にあるのだから、ある意味では当然であろう。しかし、本書の議論の構図を見渡すなら、「リゾーム」が議論の最初に示された過剰そのものであることは明らかである。それは浅田自身が述べていることでもある。

元来、エントロピーを増大させる環境の中で局所的な秩序を維持していく存在である生物が、情報による制御の高次化という道を辿るのは当然であった。このプロセスは、頭化ないし頭脳化、即ち、神経系の階層的樹状構造と中枢の形成という形をとった。目的性に対し機能分担のハイアラーキーで応ずるという、極めて一般的な解決である。ところが、このプロセスが極限的に進行するとき、いわば情報の過剰が生み出され、それらの情報は本来の目的を離れて空回りし始める。レヴィ=ストロース風に言えば、浮遊する情報群の洪水が出現するのである。生の方向=目的性によって要請された樹状構造の高次化過程としての頭化は、その極限において、シナプスの横断的な網目状連結(リゾーム!)に基づく「無頭」のカオスを生み出す。進化における最大の逆説。今や、この「焼けつく大頭」の中では「屋内の火災」が猛威をふるっている。それこそ、あのEXCÈSの最初の姿ではないだろうか?
『構造と力』、pp35-36。


 してみると、浅田は最初に過剰を設定し、それを回収しようとする象徴秩序を論じた後に、再び象徴秩序の外にある過剰に戻っているのである。これは一見すると、始まりと終わりが一致するヘーゲル的な円環のようにみえるが、そうではない。ここで重要なことは、浅田が過剰を、先行する生命の秩序(ピュシス)からのズレであると定義していることである。このとき生命の秩序は、過剰の地平であり、完結した体系(理性=実在の自己展開)そのものとして設定されている。つまり、浅田はまずヘーゲル的な体系を想定し、そこからのズレとして過剰を設定するのである。では、何がそこからズレているのか。それは人間である。

…人間も生物である以上、生命の世界と完全に断絶しているわけではないことも事実であるが、我々は生とのズレを確認した上で部分的な連続性を認める立場をとり、生との連続性を基本とした上でいくつかの飛躍を認める立場を退ける。
同、p28。


 したがって、本書の内容を乱暴を承知で単純化してしまえば、生命と人間の間にはズレがある、われわれ人間はこのズレを肯定せよ、ということになるだろう。そしてそれが社会科学的な視点から記述されるときに、コード化と超コード化がプレモダン、脱コード化がモダン、「リゾーム」がポストモダンと位置づけられ、現在はモダンであるから、そこから「リゾーム」=ポストモダンへ逃走せよ、ということになるのである。


 この浅田の議論の構図に、柄谷の「言語・数・貨幣」はきれいに位置づけられる。整理してみよう。柄谷のいう形式体系あるいは形而上学は超コード化であり、自己言及的な形式体系は脱コード化である。しかし「言語・数・貨幣」の第一章までは、一元的な形式体系を自己言及的な形式体系に導くことで解体し、その解体に「自然」が見出されるとされていた。ここでは、超コード化の脱コード化に「自然」が想定されており、そこに脱コード化を超える視点はない。しかし、浅田は、脱コード化は十分に外に出ていないとし、その外に「自然」=「リゾーム」を想定する*3

 そして「言語・数・貨幣」第二章の冒頭で、(その用語とともに)この浅田の視点が導入されるのである。つまり、自己言及的な形式体系の外にある「自然」=「リゾーム」が意識されるようになる。しかし、あくまでも自己言及的な形式体系から始まる柄谷にとって、その外とは自己言及的な形式体系そのものの否定であり消滅にほかならない。それが否定され、消滅するとあらかじめわかっているのなら、そこから始める理由もないだろう。そこで柄谷は、自己言及的な形式体系そのものに、それ自身の外にある多様性を付与しようと苦心する。第三章で論じられる自然成長性はまさしくそのようなものである*4。しかし、どう模索しようと、自己言及的な形式体系から始める以上、それが予期しないところで自ら消滅するのでもない限り、その外に出ることはできない。こうして「言語・数・貨幣」の試みは終るのである。


 なぜ、浅田には脱コード化の外の「リゾーム」を記述することができ、柄谷は脱コード化に「リゾーム」をいわば纏わせることしかできなかったのか。その違いは、両者の形式化に関する態度の相違に起因する。すでに論じたように、この時点での柄谷の意図は、理論と現実の隔たりを言明において一致させることにあった。そして、形式化を言明に還元し、言明において自己言及的な形式体系を論ずることで、その実現を図っていた。自己言及的な形式体系から始める、というのは、すべてを理論と現実の隔たりが解消された言明にすることを目的とすることにほかならない。その結果は、当然ながら、どうあっても理論と現実の隔たりが継承された言明=自己言及的な形式体系にしかならない。一方、浅田の意図は社会科学の形式化にある。だから形式化を言明に還元する作業なしに、言明の上に社会の諸形式とその相互関係を記述することができる。その結果、形式の外にある「リゾーム」が形式と対等に記述されることになる。これが両者の微細な、そして決定的な相違である。

 しかし、これは単なる相違に終らず、結果的に柄谷に態度の変更を迫ることになる。比喩的に説明しよう。柄谷は平らな地面に立っている。そして自分が立っている地面を見極めようと、地上の果てを目指して出発する。しかし、どう歩き回っても果てはない。どうやらこうして歩き回り、果てがないことを知ることが、自分と地面の関係を見極めることではないかと考えるようになる。一方、浅田は高台に上り、柄谷が歩き回っている地面と、地平線の向こうにある星空の関係を地図に描く。やはり地上の果て=星空はあるらしい。もう一度、柄谷は浅田の地図を頼りに歩き始めるが、やはり到達できない。当然である。地上を歩き回っている限り、地上の外にある星空に到達するはずがない。では、それは絶対に不可能なのか。そんなことはない。どうすればいいか。自らもまた星空の中の一つの星の上にいる、つまりすでに地上の果てに立っていると考えればよいのである。

 こうして、柄谷は自己言及的な形式体系から始めることをやめてしまう。そして、自らの記述=言明の地平を、自己言及的な形式体系を可能とする言明の地平に一致させる。<切断I>である。それは、ある意味では、まさに予期せぬ自己言及的な形式体系の消滅であった。ほどなく柄谷は、コペルニクス的転回について論ずるようになる。


内省と遡行 (講談社学術文庫)
構造と力―記号論を超えて

*1:「言語・数・貨幣」において、浅田の名前はわずかに以下の一文に登場するのみである。「(以上は、ドゥルーズ=ガタリというよりも、浅田彰の明快な図式にしたがっている。)」「言語・数・貨幣」『内省と遡行』、p230。

*2:ひとつだけ容易に確認できる事実をあげておけば、『構造と力』の出版以前に、浅田彰柄谷行人岩井克人の共同討議「マルクス・貨幣・言語」が「現代思想」1983年3月号に掲載されており、少なくとも「言語・数・貨幣」の連載開始前に両者は顔を合わせていることがわかる。第二章の書かれた時期から推測しても、柄谷が『構造と力』の出版に先立って浅田の議論に接していたことは間違いない。

*3:もちろん、これらは本来、浅田がドゥルーズ=ガタリの著作から抽出した概念であり考え方であるが、ここでは『構造と力』というテクストを問題にしている。

*4:ちなみに浅田は、『構造と力』の最後に付された表で、この柄谷の自然成長性をポストモダン=「リゾーム」に位置づけている。